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わたしが「ネットの検閲官」?(2/2 ページ)

» 2005年09月12日 11時20分 公開
[David Coursey,eWEEK]
eWEEK
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 米国が検閲ツールを中国政府に販売していると早とちりした時、確かにわたしはかっとなった。

 わたしはすぐに、これに関与していると思われる企業を徹底批判するコラムを書いたのだが、自分の主張がどうもおかしいと思い、掲載を控えた。

 さらに詳しく調査し、わたしなりに出した結論は、当該企業は中国の保護者が子供のオンラインアクセスをコントロールするソフトの供給以上のことは考えていなかったというものだった。

 その後コラムを書き直し、最初よりもかなり好意的な内容にした(6月22日の記事参照)

 この企業には不審な点は何もないが、今でも観察を続けている。

 わたしと違う意見を持つであろう(あらゆる政党の)善良な愛国者がいることは分かっているが、政治あるいは宗教問題に関する発言の権利を検閲することに対して、わたしは断固反対の立場にある。

 しかし、例えば大量破壊兵器(WMD)の作り方をネットに掲載する人々には危惧を覚えるし、暴力的なビデオゲームやエンターテインメントが暴力社会に及ぼす影響は無視できないと思う。

 これと同様の場合において、わたしはある程度の規制を敷くことに反対ではない。これを「検閲」と呼ぶ人がいることは承知している。

 わたしとしては、むしろ人々が他者への思いやりを持って責任ある行動を取ることを願っているが、そうならない場合は政府が介入してもいいと考えている。

 米国では処方薬を患者に直接宣伝することができるようになったが、これが医療の向上に貢献しているかどうかは分からない。

 こうした広告が違法だった時のほうがよかったかもしれない。だが果たしてあれは検閲行為と呼ぶべきものなのか? それとも単なる善良な公共政策だったのだろうか?

 仮に米国民――実際には彼らに選挙で選ばれた議員だが――がオンラインギャンブルを規制すると決定し、この米国法に従いたくない米国外のWebサイトがあったとする。わたしはこれらを強制的に従わせる選択肢を持つべきだと考えている。

 その選択肢を行使する必要はないが、常に持っているべきだと思う。

 同様に、電子商取引が確実に米国法に準じて行われるようにできる能力も可能な限り持っている必要がある。

 わたしたちには行使できるムチがいくつかあるが、中でも最も効力がありそうなのは、好ましくない商用インターネットトラフィックを国境で遮断することだ。

 現実には起こってほしくないが、これを強硬突破する犯罪者は必ず出てくる。それには必要に応じて対処していくべきだ。

 お分かりのように、わたしはすべての言論を完全に野放しにすべきとは考えていない。しかし大半の人々も、同じような考えだ。

 混み合った劇場で「火事だ!」と叫んだり、誰かを殺すと脅したり、あるいは米政府に対する暴力的打倒を呼びかける行為がすべて法に触れることは、誰もが認めるところだ。

 民主主義を可能にする言論の自由と、犯罪者がわたしたち市民を食い物にすることを許す言論の自由は違う。わたし自身の見解が、「検閲官」呼ばわりされるものだとは思わない。しかしわたしをどう呼ぶかは皆さんの自由だ。

 それこそ、皆さんの言論の自由の権利なのだから。

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