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ビル・ゲイツ氏の軌跡

» 2006年06月16日 16時57分 公開
[ITmedia]

1955年10月28日:弁護士の父と教員の母の間に生まれ、米ワシントン州シアトルで2人の姉妹とともに育つ。

1968年:私立レイクサイド・スクール在学中に13歳でコンピュータプログラミングを始める。この学校で後にMicrosoft共同創設者となるポール・アレン氏と出会う。

1973年:ワシントンの実家を離れ、ハーバード大学に入学。プログラミング言語BASICを初代マイクロコンピュータ「MITS Altair」向けに開発。またこのころ、Microsoftの現CEO(最高経営責任者)のスティーブ・バルマー氏と同じ寮に住んでいた。

1975年:アレン氏とともにニューメキシコ州アルバカーキにMicrosoftを設立。大学を中退。以後2000年までゲイツ氏がMicrosoftのCEOを務める。

1979年:アルバカーキからワシントン州ベルビューに会社を移転。このとき従業員30人、年間売上高300万ドルだった。

1980年:IBMからパーソナルコンピュータ用OSの開発を請け負い、「PC-DOS(後のMS-DOS)」が誕生する。

1986年:Microsoftの株式を公開。本社をワシントン州レドモンドに移転。この年に日本法人を設立。

1990年:GUI(グラフィカルユーザーインタフェース)を採用した「Windows 3.0」をリリース。2年で1000万本を売るヒット製品に。

1991年:米公正取引委員会(FTC)が、MicrosoftがPC OS市場を独占しているとして調査を開始。

1994年1月:Microsoft社員のメリンダ・フレンチさんと結婚。後に3人の子どもをもうける。この年、Forbes誌の世界長者番付で初めて1位に。以後連続で1位の座を獲得。

1995年8月:「Windows 95」リリース。ローリングストーンズの「Start Me Up」を採用し、世界統一プロモーションを展開。この年、全社員に「インターネットの津波」に対応するよう指示する有名なメモを送った。

1997年:Apple Computerに1億5000万ドルを支払い、GUIの特許問題で和解。

1998年:Microsoftが1995年に米司法省と交わした同意審決に違反しているとして、司法省が同社を独禁法違反で提訴。

2000年:CEO職をバルマー氏に譲り、チーフソフトウェアアーキテクトとしてソフト開発に専念。ビル&メリンダ財団を設立。

同年6月:司法省による独禁法訴訟で、米連邦判事がMicrosoft分割命令を下す。

2001年6月:米連邦控訴裁がMicrosoft分割命令を破棄。

同年10月:「Windows XP」リリース

同年11月:Microsoft初のゲーム機「Xbox」発売

2002年2月、日本でのXbox発売に合わせて来日したゲイツ氏

2002年:司法省との和解案を裁判所が承認。

2004年3月:欧州委員会、Microsoftが独禁法に違反したとの裁定を下す。非バンドル版Windowsの提供とともに6億ドルを超える罰金の支払いを命じる。後にMicrosoftは控訴。

2005年:英国女王エリザベス2世から大英勲章を授与。ゲイツ夫妻とU2のボノ、TIME誌の「今年の人物」に選ばれる「世界一尊敬できる企業経営者」にも選ばれた。

同年11月:Webベースサービスへと戦略転換、「Windows Live」「Windows Office Live」を発表。

2006年6月15日:2008年7月にチーフソフトウェアアーキテクトを退くとして、第一線からの引退を発表

2006年4月、マイクロソフト日本法人の20周年を機に来日したときのゲイツ氏

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