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女性チューリング賞受賞者が語るIBMと技術と女性

» 2007年03月07日 14時45分 公開
[Deborah Perelman,eWEEK]
eWEEK

 元教師で後にIBM初の女性フェローとなったフランセス・E・アレン氏は先週、女性としては初めてA.M.チューリング賞を受賞した(2月22日の記事参照)。インタビューの中で、同氏は農場で育った自身のルーツ、テクノロジーにおける女性の役割、そして賞金の使い道について語った。

―― 最も誇りに思うことは?

アレン 2つあります。1つはコンパイラに関する初期の取り組みです。わたしは1957年にコンパイラに携わり、構造、幾つかのアルゴリズム、それから技術を1台のマシンに限らず幅広く応用できるように概念化するというアイデアを確立しました。これは当時、多数の取り組みを立ち上げました。

 もう1つはこれまで一緒に仕事をした素晴らしい人たちです。何年もの間、非常に効果的な成果を上げた有数のチームに参加し、素晴らしいキャリアを持ったことを誇らしく思ってきました。

―― あなたは農場で育ったのですよね。それが数学や技術への関心に影響したと思いますか?

アレン 素晴らしい質問ですね。農場の子供として、少なくとも自分に関して言えば、たくさんの責任とたくさんの自由があったと思います。物事を探求したり、何かをしたり、自分の望む方法で成長するにはいい時代でした。

 わたしは、この分野の多くの初期の発明は、農場出身の人々によってなされたという自説を持っています。同じ世代の人たちと出逢うことが多いのですが、お互いに経歴を話すと、彼らもまた農場で育ったことが分かるんです。

 わたしは年の近い6人兄弟の一番上でした。不況時代の農場で、金銭的にかなり苦しく、皆それぞれにやるべき作業がありました。でもあの頃を振り返ると、ニューヨークの北東の端で雪や雨や寒さにさらされながらも、本当に楽しい暮らしでした。

―― 最初は高校の数学教師だったんですよね。どういう経緯でIBMに?

アレン 母校の高校で数学を教えていました。当時は実家に戻っていて、数学教師の資格が必要でした。数学教師になるには、修士号が必要だったんです。そこで数学の修士号を取るためにミシガン大学に入学しました。そのときは教職に戻るつもりでいました。教師の仕事が好きでしたから。でも大学院を終えるころには借金があって、そのときにIBMがキャンパスへコンピューティングの人材を採用しに来たんです。借金を返すまでIBMで働こうと考えたのですが、結局それがわたしにとって教職の終わりになりました。

 それが1957年のことでした。素晴らしい時代で、IBMは多数の女性を雇っていました。当時IBMの研究部門はポキプシーにあって、女性をターゲットにした採用プログラムがありました。当時の古い女性向けパンフレットを持っていますが、紫色の花が描かれ、「My Fair Ladies」と書かれています。中には、教育やプログラミングなど4つの分野で人材を募集をしているが、すべて技術的な仕事だという説明が書かれています。

 当時にしては進んでいたように思えますが、IBMはこの点では常に素晴らしい経歴を持っています。

―― 1957年にIBMに入社してから、女性にとって技術分野はどう変わりましたか?

アレン 多くの変化がありました。1957年から1960年代初めには、この分野には多くの女性がいて、女性の同僚がたくさんいました。コンパイラを担当するマネジャーは4人いて、そのうち3人が女性でした。1960年代は、女性が管理職になることに何の問題もありませんでした。例外的なことではなかったのです。

 ある製品に携わった後、1960年代の終わりに研究部門に戻ったら、職場全体が変わっていました。女性がほとんどいなかったんです。コンピューティング自体が専門職になり、厳格な雇用要件ができたためなのだろうと思いました。この種の科目はほとんどが工業学校で教えられており、当時そうした学校にはほとんど女性がいませんでしたから。

 この分野は少し大きくなっていました。コンピュータサイエンスという分野自体は、私がこの世界に入った時には存在していませんでした。1960年代半ばに別の分野として確立したのです。女性にとって状況が大きく変わったと思ったのはこのころでした。一つの分野として、コンピュータサイエンスはそのときの状態から回復していないのです。

 大学から来る男女の差は、今もコンピュータサイエンス分野に存在します。生物学、物理学、医学などほかの学術分野のほとんどでこの差は縮まっていますが、コンピュータ分野では縮まっていません。

―― どうすれば数学や技術の分野でキャリアを追求する女性が増えると思いますか?

アレン その答えはわかりませんが、これまでもいろいろと考えてきました。ミドルスクール――わたしたちはよく、ここに原因を求めますが――の女の子が問題だとは思っていません。彼女たちは科学や数学を敬遠してはいないと思います。人気がある科目もあります。わたしは常に、女性は数学や科学が嫌いだという主張に不信を持っていました。

 わたしたちの分野以外に、どこに答えを探せばいいのか分かりません。この分野でわたしたちが何を重んじているのか、カリキュラムは魅力的か、この分野の可能性は広く知られているのか、といったことが問題なのでしょう。

 わたしたちには2つの面でやるべきことがあります。1つ目はカリキュラムと、それをどう実践し、位置付けるかです。その答えは現場にあります。おそらく大学の課程自体ではなく、カリキュラムのレベルの話でしょうが、コンピューティングの道に進むための経験と決意は男子にも女子にも難しいものです。多くの学生が専攻として選び、ドロップアウトしています。

 もう1つは職場です。今、職場の多様性が成果向上につながるということに注目した大きな動きが起きています。

―― 最近では技術分野のジェネレーションギャップやタレントギャップに関していろいろと議論されています。つまり、IT分野には十分な新入社員や卒業生が補充されていないということです。どこに問題があると思いますか?

アレン この分野は初期のころには刺激に満ちていたと確信しています。わたしが1960年にIBMで過ごしたとき以上に素晴らしい体験はないでしょう。わたしたちは優れた人々とともに素晴らしい問題を克服しました。もっとたくさんやることがあって、とても時間が足りないといつも感じていました。残念ですが今はあのときほどの刺激がありません。あのときは始まったばかりだったからです。

 女性はこの方程式の欠けたピースになり得るとわたしは考えています。女性は――おそらくコンピュータの使い勝手、あるいはワークスタイルの点で――貢献できますが、女性の参加が増えると製品に違いが出るかどうか、どんな違いが出るかを定量化するのは困難です。

―― チューリング賞には賞金がありますが、その使い道を聞いてもいいですか?

アレン 貧しい子どもの教育に直接利用できる信託基金――たぶん対象は女の子ですが、女の子に限定されるとは限りません――の設立についてACMと話をしたことがあります。わたしは数年前にモンゴルの児童養護施設を訪ねました。そうした子どもたちの一部に教育を受けさせたいと思っています。モンゴルで4年間学校に通うための費用は、米国で1学期学校に通う費用よりも安価です。



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