MEIKOとミクが彼を“クリエイター”にした。投稿した動画を見た編集者やプロデューサーから声がかかり、音楽やイラスト、文章の仕事がやってきた。mixiにはファンコミュニティーができ、書き込めば「本人降臨!」と盛り上がるし、オフ会に行けばファンが寄ってくる。
自分より優秀な人はゴマンといると思っているから、この人気が信じられない。イベント会場で自分の曲がかかると恥ずかしいし、仕事が来ると「もっとうまい人もいるのに俺でいいのかな、本気でやっている人に申し訳ないな」と戸惑う。常に冷めた視点で自分自身を見てもいる。「ワンカップP(わP)という別の人がちやほやされているみたいで。『へー、わPさん、すごいね』って」
ミクブームは発売から半年もすれば沈静化するだろう。それとともに自分も忘れられるだろう。そうも考えていた。だが発売から1年近く経った今、まだブームは続いている。ワンカップPも、ちやほやされ続ける。
オフ会を通じ、初音ミクで音楽を作っている若いミュージシャンにも数多く出会った。
「自分のようなインチキとは違う、本物のミュージシャンとしての才能がある。彼らは初音ミク以上の“キャラクター”となり、クリエイターとして、ニコニコ動画やその外で、評価され始めている」
初音ミクで作られた楽曲を、ニコニコ動画の“歌い手”たちが生声で歌って投稿するという流れも確立してきた。「そうすると、ミクはいらなくなっちゃうかもしれないね」
ニコニコ動画は音楽を変える。そう言い切る。「ニコニコ動画やYouTubeには本当の客が大挙している。そんな場所はこれまで、ありそうでなかった」
ネットワーク上で発表する場としては、ニフティのMIDIフォーラムもあったし、楽曲を投稿できる音楽コミュニティーも数多い。だがこういったサービスに集まるのは創作者が中心。ニコニコ動画やYouTubeには、創作者の数をはるかに上回る、圧倒的な数の“お客さん”がやってきて、新作を待っている。
「ギターを持って駅前に行かなくても、PCにWebカメラを付けるだけでお客さんが来てくれる。私のようにつまみあげられ、仕事をもらえることもある」
初期のニコニコ動画から“つまみあげられた”身として、自分を安売りしてはいけないと身構える。才能ある次世代が安く買い叩かれないよう、相場を作らなくてはならない。「せっかくすごい才能が出てきている。素人だからと、食いつぶす動きになってはまずい」
「この歳で嫁ももらわず、こんなことしている場合じゃない。全方面であきらめ、心機一転しよう」――35歳のころ、多趣味で飽きっぽい自分を反省し、趣味の道具を全部捨てた。トラック1台分にもなったという。シンセサイザーや楽曲制作ソフトもあらかた捨てた。ニコニコで有名になったのはその直後。捨てなきゃよかったと後悔した。
最近はニコニコ関連で忙しすぎて、本業がおろそかになってきた。「今はゆっくり休みたい」という。
音楽や絵を本業にしていくつもりはない。これまで引き受けた仕事を合わせても、生活を成り立たせるにはほど遠いから。
「正直、これが10年前なら、今の仕事を辞めて転身ということも考えたかもしれない。でも、この年になってやることではないから」
遅く来た春、ですか? そう尋ねると、こう答える。
「遅く来ても、春はいいもんですよ。この歳のおっさんがちやほやされることなんかないから、甘受していきたいね」
――あなたにとって、ITとは
難しい質問ですね……。
ITは何をするにも便利で、常にかたわらにあった。ただ、何でもあるように見えて、欲しいものがないというか、広く浅く、何でもあるが、一番やりたいことはそこにはないと思ってた。
でも、ニコニコ動画を通じて、やっと全部足りるようになった気がしてる。
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