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エンジニアはモテる? Googleの「疲れる」採用試験とは――シリコンバレーで働く日本人に聞く

» 2008年07月25日 09時53分 公開
[宮本真希,ITmedia]
画像 左から廣島直己さん、松原晶子さん、佐藤真治さん、渡辺知賀さん

 「エンジニアはモテる」「Googleの採用試験で疲れ果てた」「サンドイッチに味がない」――シリコンバレーで働く日本人から、米国生活の意外な実態が飛び出した。

 人材派遣のパソナテックが企画した、日本のITエンジニアがシリコンバレーを訪問するツアーのイベントとして開かれたトークセッションの一幕だ。Googleのソフトウェアエンジニア・廣島直己さん、Adobe Systemsのソフトウェアエンジニア・松原晶子さん、元Appleのソフトウェアエンジニアでフリー技術コンサルタントの佐藤真治さんが参加し、現地のコンサルティング会社・Blueshift Global Partnersの渡辺千賀社長が司会を務めた。

「エンジニアはモテる」

 渡辺さんによるとソフトウェアエンジニアは「シリコンバレーではかっこいい存在」だ。「同じような学歴の人と比べた場合、ほかの職種に比べてエンジニアの給料が最も高い。ドットコムバブルがはじけたときも、エンジニアの数は減ったが、給料は高いままだった」(渡辺さん)。松原さんと佐藤さんは「なぜ日本でエンジニアの給料が低いのか分からない」と話す。

 「エンジニアはモテる」と話すのは廣島さんだ。「この先エンジニアという仕事がなくなることはないだろうし、お金もあって、まじめそうに見えるからモテるのは当然」(廣島さん)

Googleから突然連絡 ブログを見て「働きませんか」

 今年6月からGoogleで働いている廣島さんだが、自分で応募したわけではない。昨年11月、Googleの採用担当者から突然連絡が来たという。廣島さんのブログを見てメールしてきたというが、廣島さんは「Googleで働く気はない」と断った。

 「Googleに来ませんかと誘われたとしても、採用試験を受けられるというだけで、落ちる可能性もある。試験は過酷と聞いていたし、なぜ受けなければいけないか分からなかった」

 断った後も、採用担当者からの連絡は途切れなかった。「記念受験してやるかという感じで、採用試験を受けることにした」

採用試験「疲れ果てた」

画像 Googleのオフィス

 廣島さんが採用試験を受けたのは4月。試験内容は、決められた時間内にプログラムのコードを書くというものだった。試験官は、廣島さんがコードを書く様子を見て何秒くらいでその発想に至ったかをメモしていたという。

 「解けそうで解けない問題を出される。1時間でどこまでやれるかを試していて、いろいろヒントも出してくる」。こんな試験を、毎回変わる試験官を相手に5〜6回受け「疲れ果てた」という。

 廣島さんによるとGoogleは、試験官全員がOKを出すと入社が認められるシステム。1人でもNOと言えば採用されないのだ。最近は毎週50〜100人が入社しているという。

シリコンバレーの転職・就職事情とは

 シリコンバレーで企業が採用活動する際は、リクルーターや、求人サイト「craigslist」「Monster.com」を利用することが多いという。

 「1社で1年働けば転職は可能。2年働けば、転職する際に落ち着いていられる人だと思ってもらえる。6〜7カ月だけ働いて次々に転職していく人もいる」(渡辺さん)

 シリコンバレー(カリフォルニア州のサンノゼ市やパロアルト市、マウンテンビュー市など10前後の都市を含む)の人口は200万人で、そのうち日本で生まれ育った人は数万人。AppleやAdobe Systemsでは、20〜30人の日本人が働いているという。

 シリコンバレーで働くのに必要な英語レベルはどのくらいなのだろうか。

 「就職時に求められる英語レベルは低く、特殊なスキルがあれば片言でも就職できる。キャリアアップするには高い英語能力が必要になってくる」(渡辺さん)

「日本では女性の地位が低い」と感じて

画像 松原さん

 彼らはどのようなきっかけで、エンジニアになり、シリコンバレーで働くことになったのだろうか。

 松原さんがエンジニアになったきっかけは、米国の大学院留学だ。シリコンバレーに来たのは1997年。「ドットコムバブルがわき始めたころで、シリコンバレーは人材不足だった。うまくエンジニアの仕事につくことができた」という。

 米国で働くことにしたのは「日本では女性の地位が低い」と感じていたからだ。「日本の社会が変わるのを待っていたら、自分が歳をとってしまう。だから自分から動いた」

「小学生の頃はNECのショールームに入り浸り」

 廣島さんと佐藤さんは、大学卒業後に日本で就職した後、その仕事を辞めて米国に来た。2人とも子どものころからプログラミングが好きだったという。

 廣島さんは中学生のころからゲームのプログラムを書いていた。1989年ごろは、日本で通信サービス「キャプテンシステム」の販売を担当していた。

画像 佐藤さん

 91年ごろにパソコン通信を始めた。愛知県豊田市で最初のISPを作ったという。「ネットはこれからすごいことになるなと感じた。ただ日本でやってもしょうがないと思ったのでアメリカに来た」(廣島さん)

 佐藤さんは小学生のころからPC好き。「学校が休みの日には、NECのショールームに入り浸り、BASICで遊んでいた」(佐藤さん)

 日本で就職した後に米スタンフォード大学へ留学。Appleでソフトウェアエンジニアを3〜4年経験した後、別の企業で、ヒトゲノムの分析のためのソフトウェアを開発に携わった。その後、友人とソフトウェア会社を起業したものの、ドットコムバブルがはじけた影響で解散し、今はフリーで技術コンサルタントをしている。

米国で驚いたことは?「サンドイッチに味がなかったこと」

 米国で文化の違いに戸惑ったり、驚いたことはどんなことだったのだろうか。

 松原さんは「語学では苦労しなかったが、文化の違いに苦労した」と話す。「日本では謙虚さが美徳とされるけど、こちらではストラテジックに自己アピールする必要があった」(松原さん)

 廣島さんが米国で「何だよこれ」と驚いたのは、「デリでサンドイッチを頼んだら味が無かったこと」だそう。

 その店で何回か味無しのサンドイッチを食べているうちに、周りの客がマヨネーズを付けているのに気づいたという。「味を付けてくれと、店員に言わないと分かってもらえないということにびっくりした」

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