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2009年10月09日 14時48分 UPDATE

「ネットはもうからないという幻想、壊したい」 川上会長が語る、ニコ動のこれまでと今 (1/2)

「モバゲータウン」が作りたくて構想したというニコ動。誰にもマネできない方向に進化させてユーザーを囲い込み、「ネットはもうからないという幻想を壊したい」と、ドワンゴ川上会長は話す。

[岡田有花,ITmedia]

 「ニコニコ動画はたまたま当たったと思っている人は多いだろう。危ないところに踏み込んだから成功したと思いたがる人もいるだろうが、そうではない」――ニコニコ動画を運営するドワンゴの川上量生(のぶお)会長は言う。

 才能ある技術者1人が思いつきで作り、大ヒットしたネットサービスは少なくない。ネット業界では、そんなサービスや開発ストーリーがもてはやされる傾向もある。だがニコ動は全く違った。

 社内で半年にわたる議論を重ね、プロトタイプを作り、あらゆるリスクを考え、準備万端でリリースしたのだ。

モバゲーを作りたかった

 2006年始めごろ、ドワンゴは次の一手に悩んでいた。

画像 川上会長

 過去には携帯ゲームや着メロ、着ボイスでヒットを飛ばしていたが、着うたの急拡大で着メロが失速し、06年の連結決算が赤字に転落。次の手は待ったなしだった。

 チャレンジは繰り返していた。携帯向けのストリーミング放送サービス「パケラジ」や、携帯メールで検索できる「ニワンゴ」、3Dアバターシステムも作った。パケラジもニワンゴも当たらず、3Dアバターは「時間をかけて作っているうちに、めんどくさくなって」やめてしまった。

 試行錯誤するドワンゴの隣で急成長していたのが、ディー・エヌ・エー(DeNA)のモバゲータウンだ。ゲームとSNSを融合したサイトで、ドワンゴの着メロデータ開発で創業したCELLが開発に協力。2006年2月のスタートから9カ月で200万ユーザーを超え、快進撃を続けていた。

 「モバゲーを作りたかった」。川上会長は言う。だが、まったく同じ仕組みで後追いしても勝ち目はない。「モバゲーの本質は、ゲームを“撒き餌”にしたコミュニティー」と読み、モバゲーにも勝てるコミュニティーを作る方法を議論した。

 YouTubeも盛り上がっていた当時、SNSとライブ動画の組み合わせを思いついた。YouTubeは動画のアーカイブだが、ライブ動画とSNSを組み合わせれば、競争力のあるコミュニティーができるのではないか……など、いくつものアイデアを組み合わせたサービスを議論していった。

 「双方向通信のライブなら、観客のアクション、ユーザーのアクションを演者側にフィードバックする仕組み。演者側が観客に対してやるアクションと、3つをそれぞれ進化でき、ノウハウを蓄積していけば、誰も追っかけてこられないようなノウハウになる」

 「ワンアイデアは消費されて終わってしまうし、いいアイデアほどパクられる。いいアイデアを数出すことが重要。数は数でしか対抗できないので」

 だが、そのアイデアをどう具体化するか。議論し続けるうち半年が経っていた。「とにかくプロトタイプを作ろう」――まずはありもののYouTube動画にみんなをコメントを付けられるサービスとして、プロトタイプを作り始めた。

「これはいける」

 最初のプロトタイプは、入力したコメントが動画の右側に順に表示されるもの。面白さは感じたが、動画とコメントを別々に追わねばならず見にくかった。2つめは動画にオーバーレイしてコメントを表示する、今のニコ動の形に近いものだ。

 「これはいける」。川上会長は確信したという。「社内でプロトタイプを実験していて、YouTube上のテレビ番組にコメントを付けていた時、『NHKのほうから来ました』と書いた社員がいた。コメントがもはや別のコンテンツになっていて面白く、『これは新しいな』と思った」

 3つめのプロトタイプは同社の開発者・戀塚(こいづか)昭彦さんが作ったもの。2ちゃんねるの実況版を意識した作りで、弾幕システムなどが組み込まれている。このプロトタイプは06年12月、そのまま「ニコニコ動画(仮)」として公開された。

画像 「仮」がリニューアルし、07年1月、「ニコニコ動画β」として正式公開。画像はβ当時の画面

 これまで同社が展開してきたモバイル版公式サイトなどサービスは、開発に1〜2年かけ、完成度を高めてから公開するのが当たり前。「仮」のまま公開するのは異例中の異例だが、「未完成のままリリースし、改善していけばいい」という西村博之(ひろゆき)氏のアドバイスに従った。

 YouTubeとAmebaVisionの動画にコメントを付けられるサービス「ニコニコ動画(仮)」は、こうして離陸した。ひろゆき氏自らが動画に出演するなどネットらしいプロモーションも展開。ユーザーは急拡大した。狙い通りだった。

 ただ1つだけ、川上会長にも予想できなかったことがあるという。レミオロメンの「粉雪」の動画のサビに付いた、「こなあああゆきいいい」という“合唱”段幕だ。

 「同じ動画に毎日来て、みんなが合唱をしていた。これはちょっとありえない」。想定外の使い方を見て、ニコ動は流行ると確信したという。

YouTubeに切られるリスクも「予想していた」

 ニコ動の急成長に伴い、ニコ動で人気になった動画のYouTube再生数が急上昇。07年2月にYouTubeからアクセスをしゃ断された。「YouTubeに切られるリスクは最初から予想していて、いつ切られるかをひろゆきと賭けていた」と、川上会長は言う。

 「(YouTube親会社の)Googleのような米国の大企業が極東で起こっていることを問題視するのは相当先とみていて、僕もひろゆきも意見だいたい6月ぐらいに遮断されるのではないかと思っていた。だが、2月ごろにはニコ動の再生ランキングとYouTubeのランキングが連動を始めて、こりゃまずいと、思っていたら切られた」

 ニコ動はその後、いったん閉鎖。3月には、自前の動画共有サービス「SMILEVIDEO」をスタートするとともに、ユーザー数限定のクローズドサービスとして復活した。限定数は徐々に拡大。5月には100万ユーザーを突破した。

 「動画データ自体は、YouTubeでもなんでもいい」――今でもそう思っている。「YouTubeの戦略は、動画データをとにかく多く、高解像度で集めること。うちはそれを志向していないし、同じことをしても勝てない。ユーザーが見ている画面がニコ動であれば、動画データはどこから取ってきてもいい」

自前動画をライブ配信という“究極の差別化”

 07年12月、ライブ配信サービス「ニコニコ生放送」も始めた。自前でコンテンツを作り、双方向コメント付きライブ配信を展開。5月には帯番組「とりあえず生中」を展開するなど力を入れている。

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