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「出版社“中抜き”が目的ではない」 作家発の電子書籍「AiR」の思い(1/2 ページ)

» 2010年06月23日 16時49分 公開
[松尾公也, 岡田有花,ITmedia]
画像 AiR

 iPad発売をきっかけに、電子書籍の話題が盛り上がっている。講談社は京極夏彦さんの新刊「死ねばいいのに」を書籍発売と同時にiPad/iPhoneなどに配信し、5日で1万部以上を売り上げるなど、出版社の取り組みも加速している。

 作家側からも新たな動きが出てきた。ベストセラー「パラサイト・イヴ」で知られるSF作家の瀬名秀明さんや、人気ライトノベル「よくわかる現代魔法」作者の桜坂洋さんなど一線の書き手が集まり、オリジナル電子書籍「AiR」(エア)先行版を6月17日に刊行。紙版なしの電子書籍オンリーで、出版社も取次も通さない、作家からの“ネット直販”だ(「桜坂洋が書くデビルマン」収録 作家発・出版社なしのiPad/iPhone電子書籍「AiR」発売)。

 作家が出版社の“中抜き”に乗り出したと見る向きもあるが、それは誤解という。「既存のあり方を否定するのではなく、新たな可能性を実践したかった。負のエネルギーではこんなことはできない」。執筆陣の1人で、編集・とりまとめを担当したノンフィクション作家の堀田純司さんは強調する。

 一番の願いは、「電子書籍にワクワクしてもらう」こと。「出版の現場には閉塞感がただよっているが、電子書籍はブルーオーシャン。個人発でも面白いことがやれるんだと証明したい」

出版の現場からクリエイティビティが奪われている

 堀田さんは漫画編集者出身。「人とロボットの秘密」など著作があるほか、書籍編集者としても活動し、2005年には「生協の白石さん」を企画・編集。93万部のヒットを飛ばした。しかしそれから5年で出版をめぐる状況はますます悪化し不況が深刻化し、革新的な企画が通らなくなってきたという。

 「どんな企画を出しても『それって類書(同じテーマの本)あるの?』と言われ、類書が売れていなければ企画が通らない。類書のない新しい企画は『実績がない』と言われて通らない。そんな会議を繰り返しているうちに消耗してしまう。まさにデフレスパイラルで、現場からクリエイティビティーが奪われていると痛感している」

 作家発・個人発の電子書籍「AiR」は、そんな閉塞感を書き手側から打破したいという思いが発端だ。「紙の書籍はこれまで、出版社のような企業しか流通手段を持てず、作家はそこに寄稿する形だった。だが電子書籍なら誰でも流通・頒布が可能。出版は、書き手と編集サイドの共同事業という面が強まるのではないか」

 近未来の出版の形について堀田さんは以前から、桜坂さんとブレストを続けてきた。昨年末には、AR(拡張現実)とテキストを組み合わせたイベントを作るなど、新たな表現手法にチャレンジ。作家発の電子書籍という発想も、2人のブレストから生まれたという(Kindle時代のテキストとは ARに見る未来、「セカイカメラ」実験から得たもの)。

次の時代の扉を開けるのは自分たちでありたい

 「iPadで一番乗りになりたい」

画像 18日に都内で開かれた刊行イベントには、業界関係者など100人以上が訪れた 撮影:金澤智康

 企画が走り出したのは4月半ば。日本中でiPad熱が高まるであろう6月中には発売したいと、急ピッチで進めていった。堀田さんは桜坂さんに「デビルマン」とのコラボ小説を書いてもらおうと考え、以前から付き合いのあるダイナミックプロに許諾をもらったという。

 「書き手が集まったといっても、同人誌では世の中の人はそれほどワクワクしないだろう」――桜坂洋×デビルマンは「本来、出版社じゃなければできないような企画」。そんな企画を個人でも商業レベルで実現できると証明することで、「電子書籍の魅力を伝えたかった」。

 読み応えのあるボリュームにするため、複数の書き手を集めた雑誌のような体裁にした。「紙の雑誌は衰退しているので常識には逆行しているが、時代の空気を見ながら、複数の書き手がワンパッケージ作るのもありだと思った」。

 歴史学者の本郷和人さん、ロボティクス学者の前野隆司さん、漫画家のカレー沢薫さんなど一線の書き手が参加。収録作品はグラビアや小説、漫画、エッセイなど多様で、扱うテーマもさまざまだ。前野さんが平安時代と現代を比べる日本人論を書いたり、漫画家のカレー沢さんがエッセイを書く――など、書き手の専門と離れた原稿も並び、枠にとらわれない自由な雰囲気が伝わってくる。

 前書きにはこうある。「本書の書き手は、次の時代が始まるのなら『その扉を開けるのはぜひ自分たちでありたいと考える』おっちょこちょいかもしれない人びと」だと。「もうかる企画なのか」「原稿料は」など考える前に、「面白そうだから」と飛び込んだ人たちだ。


画像画像画像 左から桜坂さんの小説「デビルマン 魔王再誕」の表紙、前野さんのプロフィールページ、カレー沢さんのエッセイ「IT革命と相撲」の冒頭 (C)Go Nagai・Hiroshi Sakurazaka/Dynamic production 2010

 商業作品として売り出すためにはデザインが重要と判断。デザイナーのナカノケンさんが装丁やデザインを担当した。iPadでの閲覧を想定し、巻頭には写真やカラーイラストを多用したグラビアを掲載。オーサリングツールにはポルタルトの「Movilibo」(モビリボ)で、企画の意図に賛同し、無償で提供してもらったという。

 AiRの発行元は「合同会社 電気本」となっている。契約などの際に法人格が必要だったため便宜的に取得した法人で、実体は堀田さんの家だ。

電子書籍は編集者にとって「ワンダーランド」

 執筆陣からは「テンションの高い原稿が集まった」。受け取った原稿は依頼した量を大きくオーバー。当初、一般書籍換算(40字×16行)で140ページ超の予定が、倍以上の334ページにふくらんだという。

 電子書籍は紙の書籍と違い、ページ数が急増すればデータを増やすだけでよく、編成を考え直す必要がない。「紙で『100ページ増えます』となれば編集長にいすを投げつけられ、『腹を切って死ね』と言われるレベル。だが電子書籍ならExcelの編成表をびよーんと伸ばすだけでいい」

 そういう意味では、紙の編集者にとって電子書籍は「ワンダーランド」だ。「AiRは全ページカラーだが、紙の書籍で再現しようとしたらいくらかかるか……。編成や折りを考えないでいいというのはすばらしい」

 AiRは紙の書籍の発行を望む声もあるが、ライセンスの関係で紙版は発行できないという。

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