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北斗の拳とIT言論──意外と共通する「結果は問わない」日本人の原理連載・部屋とディスプレイとわたし(1/3 ページ)

» 2012年07月06日 15時26分 公開
[堀田純司,ITmedia]

 私は、現代人の基礎教養としても必須だし、そして自分自身の読書履歴としても「北斗の拳」を何度も繰り返し読んできました。そう、2000年の歴史を誇る最強の暗殺拳。北斗神拳の伝承者ケンシロウの愛と哀しみの戦いを描いた、あの名作です。

 特に好きなキャラクターは「雲のジュウザ」。正直、自分も雲のジュウザと外見、生き様、人間性、拳の才などが、ほとんど一致していると思っています。モデルになっているのかもわかりません。

 しかしその一方で、この作品には、どうにも不思議な論理が出てくると長年、感じてきました。

 それは

「動機に同情すべき点があれば、結果は許される」

 という展開。

photo 画・シコタホA

 「北斗の拳」ではしばしば物語にこの原理が働きます。もっとも顕著だったのが、南斗の将星、聖帝サウザー編で、あの人は無辜の民を大量に死地へと送った人。しかも食糧に毒を混ぜてわざとそれを奪わせたりするような、いかにも陰険な性格の持ち主でもありました。また主人公であるケンシロウ個人にとっても、彼の恩人、南斗の仁星、白鷺拳のシュウを残酷な運命に叩き込んだ宿敵となりました。

 しかし、そんなサウザーさえも「南斗鳳凰拳の宿命により、その手で恩師オウガイを葬らねばならなかった」という彼の過去が明らかになると、「哀しい男よ だれよりも愛深きゆえに」などと言われて同情されます。周囲の人も彼の末路を、顔から険しさが消えた、などとポジティブに受け止めているようです。

 私などはいくら「哀しいならば愛などいらぬ」からと言って「子どもを使ってピラミッドつくったりするのは、違うんじゃね?」と感じるのですが、ケンシロウはサウザーを苦痛を生まない「北斗有情猛翔破」で葬り、その後、強敵(とも)のひとりに数えるようになりました

 同じような例としては、正直、いまだにこの人がなにをやりたかったのかよく理解できない天狼星のリュウガが思い浮かびます。この人も、動機に同情できる点があれば、「平和に暮らしていた村人たちをあの世に送り、トキまでも殺害しようとした」という結果については、受け入れられたように見えます。

 「これが許されるのであれば、ジャギアミバだって許されていいだろう」と感じるところですが、ただ、こうしたサウザーやリュウガに対するケンシロウの態度が、多くの人の心をとらえ(もちろん私も)、熱くさせてきたことは確かでした。

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