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» 2012年09月24日 17時55分 UPDATE

部屋とディスプレイとわたし:精神論で語れ、電子書籍 デジタルは人の熱意を伝えることができるのか (1/3)

電子書籍の普及に向けて解決すべきことは多いものの、ある根源的な課題もあるのではないか。編集の現場に詳しい作家・堀田純司さんによる「電子書籍の精神論」。

[堀田純司,ITmedia]

 まだ若い分野である電子書籍においては、ファイルフォーマットの標準化や、縦組みやルビつけなど日本語環境への対応などが当初より課題とされ、それらはまだ完全に解決されてはいないようです。

 ですが私は、そうした形式以前の根源的な課題が電子書籍にはあるのではないか。少なくとも日本の電子書籍にはあるのではないかと感じていました。その課題とは、

 「電子書籍は、つくり手の熱意を伝えることができるのか」

 動作するにはバッテリーが必要なデジタルデバイスに表示される電子書籍は、そこで人間の活気を伝えることができるのでしょうか。

 こんなことを気にするのは、私が漫画分野の出身、それも週刊漫画雑誌編集部の出身であるからなのかもしれません。

 漫画とはなにでしょうか。かつてそれは「人間の欲望を全肯定する」表現だと教わったものでした。モテたい。お金儲けたい。出世したい。ハーレムつくりたい、といった人間の欲望を、ある種の宗教や道徳観念のようにストイックに否定するのではなく、全面的に肯定する。そのセントラルドグマ(教義)は「いいか。娯楽ってえもんはな。どこか根底で人間のリビドーにつながってないとダメなんだ」という感じです。

 そうした表現を読者にお届けするためにつくり手に要求されるのは、分析や批判や評論などの“合理主義的”な論理だけではありません(必要ではあります)。「どうですか、面白いでしょう!」という熱意と、どこか非合理主義的な“超越”が必須なところがあるようです。

 話が精神論どころか宗教マジキチじみてきましたが、これは実際の作品を見て考えるとわかりやすいと思います。

 自分の魂に響いてきた漫画作品を振り返ってみてください。多くの人に愛されてきた作品ほどそこには、たとえばゴールポストの上によじ登って上空からのシュートを防いだり潜水艦が空を飛んだりある回で突然、5人が同じ父親を持つ本当に血を分けた兄弟であることがわかり、しかも後々あまりその設定は引っ張られなかったり(てかマーマもあのおっさんと……)、いざ実現したフィニッシュホールドは最初壁画に描かれていたものとは全然違っていたり何回読み返してもそのスタンド能力がよく理解できなかったりなど、合理主義的である以上に、そこに“面白さ”を目指した超越があるものです。言葉を変えると、漫画とは、読む人の想像力を超えていかなければならない表現のようです。(余談ですが漫画の現場では意外なほど「そこは漫画なので」という言葉が使われがちだったりします)。

 もちろん漫画の国、日本だけに読者もまたこの機微をよくわかっていて、時に作品の矛盾点や「いくらなんでもこりゃおかしいだろ」という絵をまとめサイトでまとめたりしながらも、「漫画とはそういうものだ」と愛をもって受け止める度量があるように感じます。

 そうした作品を生み出すごく希少な才能である漫画家とつきあい、そして作品の持つエナジーを読者に伝えるために、漫画雑誌の編集者は活気を持ったページづくりをすることを、案外大切にしているものでした。

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