宗子 当時は素人の汚いコードで積極的な理由はなかったのですが、もともとPerlとPHPのスクリプトで構成されていたので、公開したら中身は見えるからいっそのことオープンソースにしてしまえ、くらいの感じでしたね。もともとあの業界は大半のソフトウェアがオープンソースだったのでオープンソースにしといたほうがなんかいいことあるだろう的な気持ちもちょっとはありました。
――それから広まり始めたと。当時、個人的にはLinuxだし結構ハードルは高いんじゃないかと思っていました。あの界隈、いぬリンク周辺の人たちはMac中心の感じがしていたので。
宗子 ハードルはめちゃくちゃ高かったですね。Linuxの中でもディストリビューションは依存性は高いし、インストールして動くまでにはものすごい設定と追加ソフトウェアがいるし、という感じで。そこでそれをベースにしたパッケージ商品を作るために作った会社がフォルティアコミュニケーションズ合同会社で、そこにつながっていきます。
――なるほど。もうそれをインストールすればいいというものを、ユーザーの利便性を考えて商品化したというわけですね。
宗子 そうなんです。設立当初の企画はプリインストールしたハードウェアを主力にするつもりでしたが実際にはインストーラ付きのソフトウェアが主流となりました。
――みんな自作が好き、と。
宗子 やはり価格帯がどうしても高くなりがちなので手を出しにくかったというのがあったようです。例外的にHPのMicroserver G7をベースにしたプリインストール機だけはそこそこのスマッシュヒットになりました。
――そのオールインワンパッケージにはチューナーボードも含むわけですよね。
宗子 そうですね、チューナーボードも含んでいました。
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