水平な黒線の両脇に、互い違いに黒のタイルが配置されているだけのことです。しかしこれだけで黒線が斜めに傾いているように見えてしまいます。ミュンスターベルク自身はこれを『互い違いのチェス盤画』(Die verschobene Schachbrettfigur)と呼んでいました。
ところで、ミュンスターベルク錯視の発表年は本や論文によって、1897年となっていたり、1894年になっていたりします。本題から離れますが、ことのついでに出典の年号が混在している事情を述べておきましょう。
この錯視が登場したのは、実は1897年の論文が最初ではありません。もともと1894年にボードゲームを手掛ける会社、米ミルトン・ブラッドリー社がミュンスターベルクのアドバイスの元に錯視画像を集めて作った「シュドォプティクス」(Pseudoptics)にありました(残念ながら筆者はまだ現物を見ることができていません)。
1897年に、その互い違いのチェス盤画をハイマンスという研究者が学術論文の中で取り上げ、ドイツの専門雑誌『心の機構の心理学と生理学誌』の第14巻に掲載しました。この論文を契機として、ミュンスターベルク自身も同じ雑誌の第15巻(1987年刊)に、この錯視に関する論文を発表しました。これが今日、ミュンスターベルク錯視の出典としてしばしば引用される文献です。
ある日のことですが、筆者と共同研究者の新井しのぶはフランスの一般向け科学雑誌『自然』(La Nature)の古い号を、何とはなしに見ていました。この雑誌は1873年に創刊されたもので、非常に精密な絵がふんだんに盛り込まれたビジュアル的にも楽しい読み物です。ネット上にもあるので誰でも閲覧することができます。
たまたまその雑誌の1893年に刊行された号を眺めていたとき、ある記事に目が止まりました。タイトルは『Une illusion d’optique de l’époque Gallo-Romaine au sommet du Puy-De-Dôme』(ピュイ・ド・ドームの山頂のガロ・ロマン時代の錯視)でした。
その挿絵には、まさにカフェウォール錯視と同じような錯視が載っていました。ピュイ・ド・ドームというのはフランスの火山です。挿絵はピュイ・ド・ドーム山頂にある廃墟の中にひっそりと残っている壁を描いたものでした。
これには目を疑いました。というのは、この記事が掲載されたのは1893年だったからです。それはグレゴリーの1979年、フレーザーの1908年は言うまでもなく、ミュンスターベルクの1894年よりも前のものです。
著者の名前を改めて見ると、記事の末尾に小さく「プリュマンドン、ピュイ・ド・ドーム気象台の気象学者」と記されていました。
とすると、ミュンスターベルク錯視、あるいはカフェウォール錯視の第一発見者はプリュマンドンなのでしょうか。
プリュマンドンの記事は現在、こちらで閲覧することができます。そこに掲載されている絵をご覧ください。まさにカフェウォールタイプの錯視です。
私が知る限り、これまでカフェウォール錯視、あるいはミュンスターベルク錯視の文献でプリュマンドンの名前や記事を引用しているものはありませんでした。気になって古い文献を調べたところ、ピュイ・ド・ドームの遺跡の中にある壁が、傾き錯視になっていることに言及したものはありました。1913年に刊行されたエビングハウスのドイツ語の著書『心理学大要』(Grundzüge der Psychologie)の第2巻です。
この本には、ピアスのキンダーガルテン錯視画像が載っていて、それに対するコメントとして小さな活字で「このパターンは古代の人がすでに知っていたように思う。中部フランスの徒歩旅行の際に、ピュイ・ド・ドーム山頂のメルクリウス神殿にある廃墟の中央で、驚いたことにこのパターンに出会った(後略)」(筆者訳)と書かれています。しかし、プリュマンドンについての記載は見つけられませんでした。なお、ここで登場するキンダーガルテン錯視というのは、ピアスの論文の冒頭に描かれたものです。
ピアスの論文は、自身の研究成果の報告で、ミュンスターベルクとハイマンスの論文について言及しています。しかし、プリュマンドンの記事は引用されていません。最近の本を調べると、2011年に刊行されたヴィカリオのイタリア語の著書『幾何学的錯視、問題のレビュー』(Illusioni Ottico-Geometriche, Una rassegna di problemi)の中で、エビングハウスの本が引用され、ピアスの錯視をメルクリウス神殿の錯視と呼ぶことが提案されています。しかし、この本でもプリュマンドンへの言及を見つけることはできませんでした。
プリュマンドンの記事の内容を簡単に紹介しておきましょう。話は1872年、ピュイ・ド・ドームに気象台が建設されるところから始まります。この気象台の建設中に、ピュイ・ド・ドーム山頂で大きな神殿の遺跡が発見されました。
発掘されたコイン、陶器の破片から、それは紀元前3世紀末から紀元後5世紀後半、ガロ・ロマン時代のものであることが判明しました。プリュマンドンはこの遺跡のほぼ中央あたりに、石を規則的に組んだ高さ1.5メートル、長さ1.95メートルの壁があり、その石の配列が傾いて見えることに気が付きました。特に壁から10メートルないし15メートル離れると、傾きの錯視が顕著に見られることも指摘しています。
ところが、プリュマンドン自身はこの神殿の遺跡の錯視が本質的に1860年に発見されたツェルナー錯視と同じものだと考えたようです。記事には1892年11月26日の科学レビュー誌にジャストローが寄せた錯視の総説を引用して、ツェルナー錯視がおよそ40年も前のものであることに言及しています。ジャストローの記事に掲載されているツェルナー錯視は、よく知られた次のものでした。
さらにプリュマンドンは『何ものも太陽のもとに新しいものはない』(Nihil novum sub sole,【Y】参照)と述べています。プリュマンドンがどのように考えたかはともかく、現在ではツェルナー錯視と、カフェウォール錯視・ミュンスターベルク錯視は少なくとも別々に紹介されていますし、北岡明佳氏の『錯視入門』【K】では分けて議論されています。
プリュマンドンの1893年の記事は、カフェウォールあるいはミュンスターベルクタイプの錯視を論じた文献としては現時点で筆者の知る最も古いものです。もちろんピュイ・ド・ドーム山頂の神殿の壁は古くからあったわけで、そこに傾きの錯視を感じた人が他にもいた可能性はあります。プリュマンドンの記事よりも古い文献がないとはいえません。
しかしながら、現状はプリュマンドン氏にとって不幸なものであると言わざるを得ないでしょう。
【A】 新井仁之・新井しのぶ、テンプル・ウォール錯視からカフェ・ウォール錯視へ - カフェ・ウォール・タイプの錯視は1893年に発見されていた-、視覚数学e研究室報告 No. 4 (2013).
プリュマンドンの記事の存在を報告した筆者らによるレポート(関連リンク)。
【GH】 R. L. Gregory and P. Heard, Border locking and the Café Wall illusion, Perception, 8, (1979), 365-380.(関連リンク)
【K】 北岡明佳、錯視入門、朝倉書店、2010.
【M】 H. Münsterberg, Die verschobene Schachbrettfigure, Zeitschrift für Psychologie und Physiology der Sinnesorgane, 15 (1897), 184-188.
【P】 J._R. Plumandon, Une illusion d’optique de l’époque Gallo-Romaine au sommet du Puy-De-Dôme, La Nature, 1893, 321-322.
【R】 J. O. Robinson, The Psychology of Visual Illusion, 1972 (Dover edition, 1998).
【その他】 http://www.panoramio.com/photo/25959797
panoramio.comというWebサイト。Laurent Guyardさんという方が写真がアップしており、ピュイ・ド・ドームの遺跡の最近の様子を見ることができる。問題の壁も部分的に写っている
【Y】 山下太郎のラテン語入門(関連リンク)
著者:新井仁之(あらい ひとし)
東京大学大学院数理科学研究科・教授、理学博士。
横浜市生まれ。早稲田大学、東北大学を経て現職。
視覚と錯視の数学的新理論の研究により、平成20年度科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞(研究部門)を受賞、また1997年に複素解析と調和解析の研究で日本数学会賞春季賞を受賞。
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