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» 2018年01月26日 13時11分 公開

山中氏「不正防げず無力感」の背景 生命科学に取り憑いた“悪魔”の誘惑

山中氏の「無力感」。これは単純に、今回の1件の不正のみに抱いたものなのだろうか。これは筆者の私見であるが、「生命科学に取り憑(つ)いた“悪魔”を払拭できなかった」ことへの感情の吐露ではないかと考えている。

[井上輝一,ITmedia]

 「このような論文不正を防げなかったことに、本当に無力感を感じている」──1月22日、京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥所長が、同研究所内の助教が行った論文不正について会見を行った際に語った言葉だ。

 不正を行ったのは、同研究所に所属する山水康平助教。さまざまな種類の細胞になれる「iPS細胞」から脳の血管に関する細胞を作製し、機能を調べた論文だったが、論拠となる主要なグラフのデータが捏造、改ざんされていた。

数値の改ざんが行われた論文グラフの一部

 山中氏の「無力感」。これは単純に、今回の1件の不正のみに抱いたものなのだろうか。これは筆者の私見であるが、「生命科学に取り憑(つ)いた“悪魔”を払拭できなかった」ことへの感情の吐露ではないかと考えている。生命科学の分野で何が起きてきたか、振り返ってみよう。

 なお、山中氏は所長の立場であり、助教を直接指導する立場の教授は別にいる。問題となった論文の筆頭・責任著者は助教であり、共著者の中にも山中氏の名前はないことを断っておく。

「STAP細胞」だけではない、生命科学の論文不正

 2014年に起きた「STAP細胞」事件は、多くの人が覚えている生命科学分野の論文不正事件であろう。理化学研究所の小保方晴子研究員(当時)らが、刺激によって細胞が多能性を獲得する「STAP現象」を論文として発表し、iPS細胞よりも安全で効率が高いなど報道されたことから、研究者を含め世間から注目を集めた。しかし、論文自身への疑義や不正が指摘され、理研が検証実験を行ったが再現できなかった。小保方氏は依願退職、上司で共著者の笹井芳樹氏は自殺という最悪の結末になった。

 この騒動はメディアが大々的に報道したが、生命科学の分野で起きている論文不正としては氷山の一角にすぎない。STAP細胞事件の前年である13年には、東京大学分子細胞生物学研究所(分生研)の加藤茂明教授(当時)の研究室関係者が発表した論文5報に不正行為があったことが発覚(指摘自体は12年)。調査の結果、「加藤氏が研究室における不正行為を大きく促進していた」と東京大学は結論付けている

 加藤氏は、日本分子生物学会が主催する研究倫理に関する若手教育シンポジウムで司会を務めるなど中心的に活動していた人物だった。同学会は06年に研究倫理委員会を立ち上げているが、それは学会の役員や年会長を歴任した大阪大学の杉野明雄教授(当時)が助手の研究データを改ざんし、論文投稿した事件を受けてのものだった。改ざんを指摘した助手は、毒物を服用し自殺した。

 業界の重鎮が起こした論文不正を契機に立ち上げた委員会から派生した、若手向けの研究倫理教育を主導する立場の人間が論文不正をしたのだから学会としては頭が痛かろう。当時の学会理事長であった東北大学の大隅典子教授は「この事実は大変に重いもの」と述べている。

 さらに、17年には東大分生研の渡邉嘉典教授と当時の助教が発表した論文5報に不正が認められた。中には加藤茂明事件後である15年に出版された論文も含まれており、指摘を行った匿名グループ「Ordinary_researchers」は告発文の中で「あ然とする」「分生研が研究不正を抑止できない構造的な問題を抱えている」とのコメントを出していた。

匿名グループ「Ordinary_researchers」の告発文(一部抜粋)

研究不正を抑止できない構造的な問題

 生命科学分野では、このように論文不正が度重なってきた現状がある。山中教授は前述した研究倫理委員会の若手教育ワーキンググループで、論文不正をどのように防ぐか加藤氏とも議論していた

 それだけに、「論文不正を防ぐためにさまざまな取り組みをしてきたつもりだった」「私たちがやってきたことが不十分だったと分かった」と会見で話す山中教授の言葉は、この業界全体に対する嘆きとも取れる。

 確かに論文不正自体を防ぐには至らなかったが、今回の論文不正の発覚は、研究所に設置した相談室へ内部から指摘を受け、調査し発覚したものだという。一方、東大分生研の加藤氏や渡邉氏の論文不正、STAP細胞事件はいずれも外部の匿名からの告発があって初めて調査がなされたものだった。これらに比べれば、不正を見つけた内部の者による「自浄作用」は働いていると考えられる。

 今後の対策として、iPS細胞研究所では「実験ノート管理の強化」「論文データの管理の強化」「研究公正教育の徹底」を挙げているが、これらが論文不正の根本的な解決になるだろうか。

 研究者個人の問題としては、「研究予算のプレッシャー」が不正の根底としてこれまで挙げられてきた。分かりやすい成果を出せなければ、次回からの自身の研究に割り当てられる予算がなくなるため、芳しい成果が出ない状況に“魔が差して”グラフやデータの改ざんや捏造を行ってしまうというものだ。今回の論文不正でも、調査委員会の聞き取りに対して山水助教は「論文の見栄えを良くしたかった」と話しているという。

 組織としての問題もある。岡山大学の田中智之教授は、日本の大学や研究機関を取り巻くさまざまな問題を議論する「ガチ議論」というWebサイトの中で、「わが国のガイドラインなどを調べると、研究公正の推進に対して研究機関に十分なインセンティブが与えられていない」と指摘する。研究不正を認定すれば、外部評価が下がり、経費の削減にもつながる可能性があるなど、「不正を認定すれば不利益を被るという、利益相反の状況に置かれている」という。

 京大は「大学と研究者の両方から意識を造成していくよう、議論し、アクションを起こしていきたい」としている。

 生命科学のデータ改ざんは、Excelの数値書き換えや、Photoshopでの画像加工など、やろうと思えば容易にできる。

 「少しいじれば来期の予算も安泰だ」──こんなことを囁く“悪魔”に、これまで何人もの研究者が取り憑かれてしまってきたのではないだろうか。悪魔に耳を貸さずとも、研究者が純粋に研究に打ち込める土壌作りを急がねばならない。

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