このように、工夫を重ねて学習させていったAIで作った音声を、実際の美空ひばりさんを見てきたファンの皆さんに聞いてもらう機会があった。結果は「歌詞が聞き取れない」「人間らしさがない」など酷評だったという。
「この部分は若干あまいかなと思っていたところを鋭く指摘された。おっしゃる通りだった」(大道さん)
派手で分かりやすい特徴を持った歌手であれば、その特徴を捉えるだけである程度その人らしく聞かせられるかもしれない。しかし、「美空ひばりさんは特徴的な声や技巧を前面に押し出して歌う人ではなかった」という。
大道さんは「(美空ひばりさんの歌は)全てが精密に仕上がっている。何か一つの特徴を再現していればひばりさんらしい音楽に聞こえるというわけではなく、全てに気を配らなければならなかった」とその難しさを語った。
「七色の声」ともいわれる、美空ひばりさんらしい多様な表現が、前後の音の高さや音楽の流れといった、音楽としての文脈に応じて正しく出ないといけない。癖が似ているだけでは「確かにひばりさんがそういう歌い方をすることはあるが、このメロディーではそうはならない」と違和感が生じる。
ヤマハはフィードバックを基に再び調整を行い、AIを磨き上げた。
ヤマハはこれまでも、VOCALOIDの技術を使って故人の歌声を再現してきた。元X JAPANのhide(ヒデ)さんや、ハナ肇とクレージーキャッツの植木等さんなどの歌声を再現し、新曲を作ったのだ。
しかし、故人の声や歌をよみがえらせるというのはまだ倫理的な課題の残る試みだ。場合によっては、故人を侮辱するような使い方もできてしまう。近年ではディープラーニングの技術を使って悪意のあるフェイク動画を作る「ディープフェイク」も出現し、問題視されている。本人の知らないところで、本人の意図しない文章を、あたかも本人がしゃべったかのように聞かせることも、歌いたくない歌を歌わせることも、現在の技術があればできるのだ。
大道さんも、故人をよみがえらせることに関しては「気軽に冗談めかしてやっていいかというと違う」と話す。今度また故人の歌声を再現することについても、「真剣に音楽に向き合ってみんながお互いを信頼して取り組めるというなら、またやりたい」と慎重な姿勢を見せた。
今回のプロジェクトでは、美空ひばりさんの音楽に真剣に向き合う人たちが全力を出し合って作ったという。使い方次第で故人を侮辱できてしまうな技術開発のために貴重な音声データを提供するというのは、簡単にできることではない。「倫理的な懸念があるからこそ、美空ひばりさんの歌声を再現するために、親しい人々の合意を得た上で作品を作れたことに価値がある」と大道さんは語る。
また、話声の再現を行った才野さんは、「倫理的な観点で重要になるのは一般に公開するかどうかという点だ」という。今回ヤマハは、楽譜さえ渡せば美空ひばりさんにどんな曲も歌わせられるようなシステムを作ったが、公開したのは関係者の合意を得て出力した音声だけだ。一般の人々がこのシステムに触れることはできない。
もしこのシステムを製品として一般に販売するとなれば、より深く議論する必要が出てくるだろう。細心の注意を払って特別に新曲を作るのと、多くの人が勝手に美空ひばりの新曲を作れるという状況のあいだには、大きな隔たりがある。
取材を通して分かったのは、「あの感動をもう一度届けたい」という大道さんと才野さんの思いだ。いい音楽を作るために技術を開発するという姿勢から来る、開発者自身の倫理観も垣間見えた。
「AI美空ひばり」が浮き彫りにしたのは、テクノロジーの力で故人をよみがえらせるというSFのような世界がもう目の前まで来ているということだ。これまでなら、あくまでフィクションと言えたかもしれないが、倫理的な議論が迫られるところまで技術が発展していることを世間に知らしめたのではないだろうか。
ヤマハの技術や今回のプロジェクトは、「故人とAI」についての議論を本格的に進めていく起爆剤になるのかもしれない。
「AI美空ひばり」を支えた技術 「七色の声」どう再現? ヤマハ技術者に詳しく聞いた
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