スタート時の通信規格の違いは、サービスの立ち位置の違いそのものであった、といってもいい。
EZwebは通信とコンテンツ制作の仕組みに、国際規格である「WAP 1.0」を採用した。これは簡単にいえば、「携帯電話は狭い画面・遅い通信速度で使うものなので、それに合わせて徹底的に特化した仕組みを使おう」という発想の技術である。コンテンツ制作に使われていたWMLはHTMLと互換性がない代わりに、データ伝送の効率に優れ、当時の貧弱な携帯電話網での伝送がしやすいよう配慮していた。
一方、NTTドコモはiモードをスタートする際にWAPを採用しなかった。コンテンツ制作を簡便化するため「Compact HTML」を採用した。
Compact HTMLも携帯電話向けにデータ量などを削減した技術で、PC用のWebとは違うものだが、独自のオーサリングツールを必要とした初期のWMLに比べればPC用のWeb制作にずっと近く、コンテンツ制作が容易だった。
このことは、iモードが最初からパケット通信を採用したこと、公式サイトによる課金モデルを用意したことに加え、普及を大きく後押しする。インターネット上に「勝手サイト」を作ることが容易だったからだ。
コンテンツを使いやすくする工夫、コンテンツが増えやすくする工夫を用意するという2点において、iモードは当時、非常に先進的、というよりもシンプルな設計思想を持っていた。
2001年6月、WAPが「2.0」になって見直される。コンテンツ記述言語はXHTML+CSSになり、データ伝送もTCP/IPとHTTPに近いものに変わり、PC用インターネット/エコシステムとの親和性が重視されるようになる。EZwebもWAP 2.0仕様になり、iモードとのコンテンツ互換性が高くなった。これ以降、各携帯電話会社向けのコンテンツの差は小さくなり、利用可能な端末数が増加していくことになって、携帯電話コンテンツのビジネスはさらに拡大していくことになる。
iモードは「国際標準」から離れてスタートしたが、そのことは必ずしもコンテンツ制作において独自性=閉鎖性、というイメージで語れるような話ではない。実情にあった現実解だったといえる。WAP 2.0が、結果的にiモードを意識したような形へと変化したことが、それを裏付けている。
世界ではまだ「携帯電話向けのコンテンツエコシステム」が出来上がっておらず、iモードが世界をリードする存在だったのである。
日本で携帯電話向けネットサービスが広がっていくと、今度はその高度化が携帯電話契約と端末販売を牽引する存在になっていく。
カラーが使える、アプリが使える、カメラでの写真撮影が進化する……などの変化がどんどん生まれ、2000年代、日本の携帯電話はバラエティーに富んだ製品に育つ。現在でいうところのフィーチャーフォン、俗に「ガラパゴスケータイ」「ガラケー」と呼ばれるものの誕生だ。
2000年代には、携帯電話端末の開発について、携帯電話事業者とメーカーの距離が今以上に近かった。理由は、新端末とその機能が回線契約の増加に役立つ一方で、いかに新端末での回線負担をコントロールするか、というマネジメントが極めて重要だったからだ。
こうしたアプローチは他国でもあったが、日本では他国以上に関係が深かった。一定数の端末を携帯電話事業者がメーカーから買い取り、携帯電話事業者が回線契約にひもづく割引モデルを活用して安価に販売する、というビジネスモデルの存在は、多様なメーカーが多様な端末を販売する土壌となり、結果として、他国以上にバリエーションに富んだ携帯電話端末が生まれた。
このような環境が他国より特殊であり、そこに特化して作られていたことを「ガラパゴス的環境」というのは、ある側面で正しい。ただ、こうした構造が他国になかったわけではない。実のところ、国を超えて付加価値の大きい端末の販売で成功していたメーカーはあまりなかったのだ。当時のトップブランドであるNokiaも、付加価値の少ない端末を多数売ることで成功していた側面がある。「今以上に国や地域によって壁があった」といった方がいい。
どの国でも「いかに回線に負担をかけずに付加価値を打ち出すか」が、携帯電話端末の開発において重要な要素だったわけだ。
ただ同時に、そのことは不自由も生んでいたし、PCに慣れた人々には違和感でもあった。フィーチャーフォンが高度化し、PCに近いことができるようになるほどに、「携帯電話回線をマネジメントするためのデータ量制約」が消費者にも見えるようになっていったのだ。
だが、「3Gでやるならこのくらいが限界」「次の大きなジャンプは4Gが出てから」と、携帯電話事業者に近い人々であるほど考えていたのである。
そう、iPhoneが出てくるまでは。
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