給料のためだけ感動のイルカ(1/2 ページ)

浩の会社は売上が増えたので、トラックを増やし、社員も増やしてきた。しかし、社員が増えれば、絆は薄まる。「すみません。結婚を考えているんで、もう少し給料のいい会社に移ります」。こういう辞め方に、浩は少なからずショックを受けた。

» 2010年02月26日 23時00分 公開
[森川滋之,Business Media 誠]

前回までのあらすじ

 ビジネス小説「奇跡の無名人」シリーズ第3弾「感動のイルカ」は、アクティブトランスポートの代表取締役CEOである猪股浩行さんの実話に基づく物語である。

 取り込み詐欺に遭い会社をリストラされた主人公の猪狩浩(いかり・ひろし)。独立して立ち上げた引っ越し屋は景気の波に乗り、売り上げも順調。信頼できる中野毅税理士の助けもあり、「正直な経営」もできているつもりだったが――。


 6年目に入った。2003年になっていた。

 客を大事にする引越屋だということで、口コミの新規客が増えてきた。

 売上が増えたので、トラックを増やし、社員も増やしてきた。当然の流れだと浩は思っていた。

 しかし、社員が増えれば、絆は薄まる。

 「すみません。結婚を考えているんで、もう少し給料のいい会社に移ります」

 こういう辞め方をする社員が出てきたことに、浩は少なからずショックを受けた。

 「やっぱり、うちは給料が安いのかな?」

 浩は、帰宅するなり妻の清美にこう切り出した。焼き魚と味噌汁のにおいがしている。

 「うん、どうなんだろう? まあ、とにかくご飯にしようよ」

 ゼロからどころか借金を抱えてアクティブ運送をスタートさせたときに生まれた子供も、もう幼稚園に通っている。2人目も2歳。4人で食卓につくときはいつも、本当良くここまで来れたと思う。

 自分の幸せをかみしめていると、ふと社員にも家族があるということが頭をよぎった。

 「もっと給料を高くしないといけないと思うんだ」

 「今は、ちょっと厳しいかもね」。元々事務をやっていて数字に明るい清美は、あまり同意できない風だった。

 「そうだな。だから、もっと売上を上げながら、効率を上げることを考えないといけない」

 「ねえ、社員のみなさんは、給料のためだけに働いているのかしら?」

 「そうではないと思うけど、でも給料はやっぱり大きなモチベーションなんじゃないかな」

 「まあ、お金は大事だろうけどね。でも、お金はなくてもうちは幸せにやってきたんじゃない?」

 「経営者だからな。お金だけじゃないさ。でも、従業員は違うよ」

 「従業員のことは浩さんのほうが良く分かってると思うけど……」

 「けど、何?」

 「いや、いいの。浩さんの思うようにしたらいいんじゃないかな」

 その言葉をきっかけに2人とも無口になってしまった。長男の翔太が気まずい空気を察したらしく、二人の顔をかわるがわる心配そうに見ている。子供に心配をかけているようでは、まだまだ父親失格だな。浩は気を取り直して、話し相手を翔太に変えることにした。

 社員をつなぎとめておくには、高給と福利厚生が必要だと感じた浩は、まずはもっと加速的に売上を増やすことだと思い、アメリカの大学院を優秀な成績で卒業し、MBAを取得したという触れ込みの、浅田というコンサルタントを雇うことにした。決して安い報酬ではないが、半年で必ず成果を出すというので、半年契約で始めることにした。

 浅田は小太りの背の低い男で、声が甲高く早口だった。

 「いやあ、ぼくなんかがこのぐらいの規模の運送業でコンサルすることなどまずあり得ませんから、猪狩さんは本当にラッキーですよ」

 こんな調子だったから、浩が決して好きになるタイプではないのでが、この頃の浩は自分でも気づかないほど焦っていたのだろう。

 「事業戦略からUSPから何から作り直ししないといけませんが、まずは半年で成果を出すというお約束なので、手っ取り早いところから手をつけましょう」

 「それは、どこなんですか?」

 「プロモーション戦略ですね」

 「広告ですか?」

 「そうですね。まあ、テレビコマーシャルでも打ちたいところだけど」

 「いや、とてもそんなお金はありません」

 「でしょう? だから新聞や雑誌の広告がいいと思うんですよね」

 「現状はチラシと口コミだけで伸びてるんですが」

 「そんなもん、当てにならないでしょう」

 「インターネットだと安くて、効果もあると聞いていますが」

 「あんな海のものとも山のものともつかないものより、伝統とノウハウのある広告会社に頼むほうが絶対にいいです」

 確かに2003年の時点では、事実だったかもしれない。ただ、浅田はネット広告については実はまったくの素人だった。それでも浅田は弁の立つ男だった。元々口ベタな浩が敵う相手ではない。いつの間にか、浅田の知り合いだという広告マンを紹介されて、いくつかのタウン誌やローカル新聞に、見た目のカッコいい広告を打つことになってしまった。その分、値段も高かった。

 「まあ、これで売上が増えますから、すぐに元が取れますよ」

 浩は広告については門外漢だったので、コピーなども言われるがままに承認した。しかし、どこかウチの会社と違うというわだかまりは残っていた。ウチはお客様第一をウリにしている会社で、引越の感動を共有したいのではなかったのか? だが、そんな抽象的な言葉は伝わらない、お客はスピードと丁寧さと低価格を求めているのだからそれを明確に打ち出せ、という浅田と広告マンの意見に押し切られてしまった。

 広告を打ち始めてから半月ぐらいで問合せが増えた。ここは実績を作る局面なので、他社に負けない価格で勝負して、一気にエリアでのシェアを拡大しろという浅田の意見を入れたところ、利益率は多少下がったが、売上は大幅に増えた。

 浩は、実際MBAというのは大したものだと思い、浅田の意見を何でも取り入れるようになった。仕事が増えても、できるだけ人を入れず、残業等で乗り切ったほうが良いという意見も入れた。それで手取りが増えて、喜ぶ社員がいたのも事実だった。

 「売上が増えているけど、どうもいい傾向とは言えない気がするんですよね」。税理士の中野毅がそのように忠告したが、浅田の手腕に魅入られていた浩の耳には入っていかなかった。

 中野がしつこく忠告すると、「税理士は税理士の職分があるはずです。事務のプロであって経営コンサルタントじゃないんだから、あまり口出しなさらないでください」などと返事をする。さすがの中野も不機嫌になってしまったが、これ以上言っても仕方ないと思い、しばらく静観することにした。

 浅田が来てから半年が経った。季節は秋になっていた。売上は1億円近くアップし、半年で年間の目標をほぼクリアした。確かに成果があったと言える。

 ただ、利益は少し減少していた。広告宣伝費と値下げの分も大きかったが、元々給料を増やそうと思って始めたことだったので、夏のボーナスをはずんだのも大きかった。

 浩は、契約更改をしようと浅田を呼んだ。

 「浅田先生、おかげさまで成果が出てきています。ありがとうございました」

 「まあ、ぼくの能力から言えば当然のことです。お礼には及びません」

 「はあ。で、引き続きお願いしたいのですが」

 「そうですか。では、報酬は倍でお願いできますか?」

 「いや、確かに売上は上がりましたが、利益は多少減っています」

 「それは、賞与を払いすぎたせいでしょう。私の責任ではありません」

 浩は、絶句した。

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