連載
» 2011年10月14日 11時40分 公開

518日間のはい上がり:やっぱり俺はダメなのか? (1/2)

人と会わなければ――そう決心して、開催したセミナーだったが、実際に集まったのは5人だけ。緊張する金田だが……。

[森川滋之,Business Media 誠]

連載「518日間のはい上がり」について

 この物語は、マイルストーンの水野浩志代表取締役の実話を基に再構成したビジネスフィクションです。事実がベースですが、主人公を含むすべての登場人物は作者森川滋之の想像による架空の人物です。

前回までのあらすじ

 会計事務所の事務員だった主人公の金田貴男。起業したが倒産して1500万円の借金を負い、酒とパチンコだけの引きこもりに。一念発起して禁煙に“成功”し、意外なビジネスチャンスを感じるも、教材販売は最初の数件しか売れず、あとはなしのつぶて。そこで、禁煙セミナーを始めようとするが……。



 先に場所と時間を決めたのは正解だった。そうでなければ絶対にこんなところにいるもんか。

 セミナー開始30分前の会場で俺は1人で震えていた。ひざを押さえても、余計に震えが大きくなる有様だった。机をきちっと並べ直し、テキストを机の上に置いたまではいいが、そこですでに気力が萎えそうだった。

 窓の外にはまだ桜が残っていたが、それを見てきれいだと思う余裕もなかった。それどころか桜の淡いピンクがうるさく感じられ、よけいに心がざわついた。散っていく花びらを見ると、それが自分の運命のようにさえ思えてきた。

 人と会わなければ――そう決心して、開催したセミナーだった。メルマガで告知したが、無料なのに誰1人申し込んでくれなかった。しかたなく、掛けられるだけの電話を掛けて、何とか8人集めたのだった。期待していた竹下は、既に約束があったので来られないということだった。

 その8人のうち2人が、昨日になって急用ができたとキャンセルしてきた。急用なんてウソに決まっている。面倒になっただけだ。でも、キャンセルの連絡をくれるだけマシで、もしかしたら1人も来ないんじゃないかと思った――それならそれで、気楽でいいけど。

 人に会うだけなら、もっと方法があったんじゃないか? 何でセミナーなんて大変なことをやろうと思ったんだろう。1カ月前の自分を恨む気持ちでいっぱいだった。

 1人でいるとどんどんネガティブになっていく。もっと明るいことを考えよう。

 なあに。内容はいいんだ。20人が試して19人が何らかの効果があったと言ってるんだ。しかも6人は実際に禁煙に成功したと言ってる。すごいじゃないか! メルマガの読者も最近は少し減ったけど、3500人いたんだぜ。そんなに関心を持っている人がいるんだ。

 なのに何でメルマガからは申し込みがないんだ! 解除者数も増えてる気がするし。

 あ、いかん。また、ネガティブなループに入りそうだ……。

 15分前になったけど、誰も来ない。やっぱり誰も来ないんだろうか? もしかしたら電車の事故でもあったのかな。やきもきする。ああ、もう、ホントやめとけばよかった!

 落ち着け、落ち着け。いま誰かが来たとしても、おまえ話なんかできるのかよ? 真っ青な顔で、ブルブル震えながらさあ――窓に映る自分の顔を見ながら、俺は自問自答していた。

 最初の参加者が来たのは、開始5分前になってからだった。ガランとしている会場を見てひとこと「あれ? 今日は中止?」と聞いてきた。

 「いや、やるよ」と俺は力なく答えて、そのまま目を合わせないようにした。

 開始時間になったときは、それでも5人になっていた。その間、俺は誰とも口をきかずにいた。参加者どうしが話をして盛り上がっているのを見ながら、俺は少し途方に暮れていた。どうやって開始を切り出したらいいんだ? 誰ひとり時間になったのに気がついていないようだった。

 開始時間3分を過ぎても、最後の1人が現れないので、しかたなく始めることにした。

 「みなさん、宴もたけなわですが、お時間になったのでお開きに、いや、始めさせていただきます」

 精一杯のギャグのつもりだったが、会場は逆に重苦しい沈黙に包まれてしまった。俺の緊張は一気にレッドゾーンに入った。

 「今日は、お忙しい中、私の話を聞きに集まってくださってありがとうございます。本日講師を務めさせていただく金田貴男です」

 文字にするとこんな感じなのだが、参加者にはおそらくこんな風に聞こえただろう。

 「きょ、きょうば、おそがしいなか、わ、わたしのお話を、くくにあつ、あつまれてくだされて、ありがとうござります。ほんじっこうしをつろめさってていただきかねだたかおでっ」

 みんな怪訝(けげん)そうな顔をしている。その顔が怖くて、あいさつのあと俺は誰の顔も見られなくなった。ただテキストを見るか天井の梁(はり)を見ているか、どちらかだった。

 こんな苦しみは二度と味わいたくない。2時間、ただただ講師用テキストを棒読みしていただけ。究極の孤独感だった。

 途中で1回だけ、なんとか緊張をほぐそうと用意してきたギャグを披露したが(それも講師用テキストに書いてきたのだが)まったくうけずに、1人でうすら笑いを浮かべて、立ち尽くしてしまった。そこで休憩を入れればよかったのだけど、そんなことをしたら誰1人戻ってこないんじゃないかと思いとどまった。

 地獄に落ちたら閻魔大王が自分の一生をビデオのように見せてくれるらしい。ほかの刑罰は何でも受けるから、この日のセミナーだけはどうかスキップしてほしい、と今でも思う。

 とにかくテキストを読み終えたので、最後の力をふりしぼって「ご静聴ありがとうございました。恐れ入りますが、お手元のアンケートをお願いします」とつぶやくように言って、終了した。拍手はまったくなかった。

 俺の成功イメージは、大きな拍手に包まれ、満足そうな笑みでお辞儀をし、「このあと懇親会をしますが、参加される方は挙手願います」ときいたら、1人をのぞいてパッと大きく手が挙がり、手を挙げない1人は死ぬほど残念そうな顔をしている、というようなものだった。ここまで大きく食い違うとは思わなかった。もちろん懇親会の「こ」の字も言い出せなかった。

 みな一応アンケートは書いてくれているようだった。全員が書いたら裏返して、すぐに帰っていった。黙礼してくれたのは、2人だけだった。

 誰もいなくなっても、俺はアンケートを見ることができなかった。そのまま置いて帰ろうかと思ったぐらいだ。

 10分間呆然としたあと、裏返しのままのアンケートをかき集めてカバンに入れた。テキストは3部ほど机の上に置かれていた。1部は最後まで来なかったやつのだ。それらをぐちゃぐちゃに握りつぶして、ゴミ箱に放り込んだ。

 帰りの電車の中でもアンケートは見る気になれず、反省するところも多すぎて言葉にできず、ただ後悔だけしていた。俺は人前で話をするタイプじゃないだけだ。これからは書くほうに専念しよう。そう思うことで自分を慰めていた。

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