累計12億冊! 知られざる「ジャポニカ学習帳」のスゴさ水曜インタビュー劇場(学習帳公演)(2/7 ページ)

» 2015年10月14日 08時00分 公開
[土肥義則ITmedia]

会社の認知度が低い

土肥: ほとんどの人が「ジャポニカ学習帳」を一度は使ったことがあると思うのですが、「なぜ使っていたの?」と質問されると「親が買ってきたから」「学校で配られたから」「表紙の昆虫の写真が好きだったから」といった理由を挙げると思うのですが、どうもすっきりしないんですよ。

 発売して、今年で45年目。累計12億冊以上売れている超ロングセラー商品の秘密を探るには、歴史にヒントがあるのかもしれません。まずは、ノートができたきっかけから教えていただけますか?

小原: ショウワノート(当時:昭和紙工)は1947年に富山県高岡市で創業して、当時は便せんや封筒などをつくっていました。その後、キャラクターのイラストが入った文具などをつくって、「そろそろ東京に進出してみるか」となり、学習帳の分野に進出することになりました。

 最初は「エリート学習帳」という教科書のようなモノをつくっていて、表紙には少年漫画などに描かれていたリアルタッチな絵を採用していました。競合他社も同じような表紙を使っていたので、後発組として苦戦しました。富山から出てきたので、取引先などからは「ショウワノートって、聞いたことがないなあ。なにそれ?」といった反応だったんですよ。

土肥: 認知度が低かったわけですね。

小原: 1年、2年、3年……学習帳を発売していたのですが、なかなか売れません。「このままではダメだ、会社が潰れるかもしれない」とピンチに立たされたので、何とかしなければいけませんでした。そこで、そのころ人気があった小学館の『ジャポニカ百科事典』(のちに休刊)に目をつけたんですよ。

 当時の小学生にとって、百科事典は特別なモノ。家にあれば、友だちの間で注目されるほどでした。「ノートに百科事典の一部が掲載されていると、子どもたちは喜ぶかもしれない」という仮説を立て、そのような編集をして発売することにしました。また、表紙はイラストではなく、百科事典に使われている写真を掲載しました。

発売当初のジャポニカ学習帳

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