読者諸君、こんにちは。再び現代にやってきたアリストテレスじゃ。さて、今回は美徳について語ってほしいそうじゃな。
まずは言葉の整理から始めよう。人間関係についての美徳を「倫理的美徳」といい、これは習慣によって身に付くものじゃ。正直について言えば、日常的に真実を述べることが大切である。嘘を言う癖(くせ)が付いてしまうと、すぐにはばれなくとも、いずれ決定的な虚偽行為を行ってしまい、最後には明らかになって破滅的な事態になってしまうからである。
倫理的美徳の中心になるのが「中庸」という考え方である。多すぎも少なすぎもなく、その中間が最も適切ということじゃ。勇気も多すぎると無謀となるし、少なすぎると臆病になってしまう。その中間でバランスが取れているのが勇気の美徳なのである。
もっとも、過大と過小の両極のど真ん中がいいのではなく、TPO(時と場所と場合)に即して最適にバランスが取れているのがよいのじゃ(図1)。
倫理的美徳の典型は人間の心や感情に関するもので、勇気・節制・温厚などがその代表だ。一方、人間の振る舞い方に関する徳も大事である。お金の得方や使い方、高まいさや名誉心、正直、機知など。お金の出し入れは美徳とは関係ないと思っている人が多いかもしれないが、実は適切にお金を扱うことは大事な徳なのである。
世の中の不祥事の大半は、正直という美徳が欠如しているために起こっている。この美徳は、言葉と行動が真実に即していて誠実な態度を取ることである。
もっとも、これも行きすぎは望ましくなく、馬鹿正直が良いというわけではない。例えば、自分の会社の商品の問題点や、他社製品より劣っている点を初対面のお客さんに次々と洗いざらい並べ立てて話すようでは、決して契約は成立しないじゃろう。そんな営業担当はクビにされてもおかしくない。
だからといって、データの偽装は決定的な嘘であり、詐欺的な悪徳行為であるのは言語道断じゃ。もし問題に気付いたら速やかに修正するように努めなければなるまい。馬鹿正直と、このような嘘との間のどこかにあるのが、正直という美徳なのだ。
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