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» 2016年04月19日 08時00分 公開

スピン経済の歩き方:災害取材を行うマスコミが、現地で非常識な行動をとる理由 (3/5)

[窪田順生,ITmedia]

「被害」こそが伝える価値がある

 実際、噴火から10日足らずで、被災したスナックのママが安全な地域に臨時店舗をオープンした。被災者にも好評で、避難所の体育館から夜な夜なやって来て、カラオケで歌ったり、酒を楽しんでいた。

 こういう被災地の「現実」をなんとか伝えたいと考えたが、記者をしていた雑誌ではボツ。現地のマスコミはみな知っていたので、どこかが報じるだろうと思っていたが、全国紙の地方版が小さく取り上げただけ。全国から集結したマスコミは、「疲労重なる避難生活」という見出しとともに、「体育館で寝泊まりし、疲れた表情の被災者」の写真や映像を毎日取り上げ続けた。つまり、「災害報道」というのは、とにもかくにも「弱者」に寄り添い、常に「被害」にフォーカスをあてなくてはいけないという暗黙のルールがあるのだ。困難の中で明るく過ごす被災者や復興へ向けた動きは、ニュースバリューが低いとみなされてしまう。

 今回もそれは変わらない。分かりやすいのが『読売新聞』だ。4月17日の一面には、《暴れる大地に涙》《学生犠牲 友人ら無念》《妻「どうしてあの人が」》《優しい人だったのに》という見出しが踊り、男子学生や亡くなった方たちの顔写真とともに倒壊したアパートが映る。

 翌18日の一面も同様のトーンが続く。大見出しには《熊本地震 避難11万人》。《死者新たに1人 42人に》《南阿蘇7人に安否不明》という言葉とともに、土砂崩れ現場で必死の救援作業を行う自衛隊の様子を、西部本社が出したヘリが空撮した写真が大きく掲載されている。

 新聞の一面というものは、その新聞社が最も報じるべきと考えるものが掲載される。つまり、『読売新聞』が今回の熊本地震で、「最も伝えるべき価値のあるニュース」と考えたのは「被害」になっているということだ。

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