年間売り上げ100億円 なぜ売れ続ける「白い恋人」を作れたのか(2/4 ページ)

» 2016年04月26日 08時00分 公開
[鈴木亮平ITmedia]

お土産市場に参入して勝負。目をつけたのは機内食

 こうして1976年に現在の白い恋人が誕生。これが大ヒットするわけだが、これまで同社が開発してきた高級菓子とどのような違いがあり、ヒットにつながったのだろうか。その一つの要因は、徹底して「“お土産品”として売り出したこと」にあるという。

 もともと同社はお土産品を専門に扱う会社だったわけではない。本格的に「お土産専用」の商品として売り出したは白い恋人が初めてだった。

 その背景は、1972年の札幌オリンピック開催をきっかけに北海道への旅行客が増え始めていたことだ。同社は、大きくなりつつあった“お土産市場”で勝負しようと考え、「北海道のお菓子」というブランドイメージを作りあげることに注力した。

 「お土産品としてのプレミアム感を全面に出すために、販売は道内限定にし、『パッケージデザイン』『ネーミング』も北海道をイメージさせるものを意識しました」(同社)。ちなみに、白い恋人という名前は創業者が命名。雪が降っている日の夜空を見上げたとき、頭にふと浮かんだ言葉を使用したという。

 北海道のお土産品として世間に認知される大きなターニングポイントとなったのが、機内食での提供だった。商品が完成した後、現会長の石水勲氏は新千歳空港の全日空のカウンターに出向き、北海道行きの便で機内食として提供できるように飛び込み営業を行ったという。当時はまだ無名だった同社だが、石水氏の猛アピールにより一定期間、機内食として採用してもらったそうだ。

 「機内食に取り入れた結果、商品の存在が口コミで広がっていき、販売店での売り上げがどんどん伸びていきました」(同社)

 これをきっかけに軌道にのり、「白い恋人=北海道のお菓子」というブランドイメージが序々に定着していくことになったのだ。

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