小日向: 7歳のときに小谷城が落城してお父さんの長政が殺され、2人目のお父さんとなった柴田勝家も、茶々が17歳のとき、秀吉に敗れて北ノ庄城で母とともに自害しました。
小谷城の戦いでは信長の部下である秀吉が最前線で攻めてきて、勝家を攻め滅ぼしたのも秀吉。茶々にとっては親を殺された恨みしかないわけですが、そんな秀吉の側室に入るのは本当にすごいなと思います。
ただ、戦国時代の女性は政治の駒にされてかわいそうなどと言われますが、当時は価値観が違うので、現代のモノサシですべてを計ってはいけないと思うのです。今だったら、例えば、信長の男色などは「え〜」と思いますが、当時はそれが当たり前だったのと同じように、女性も権力者の奥さんになってのし上がる喜びや幸せがあったのではないでしょうか。
編集部F: なるほど。
小日向: あと、茶々は淀君という別名があるのですが、これは江戸時代以降に付けられたそうです。「君」という言葉はあまり良いイメージではなく、江戸時代の売春婦を辻君と呼んだところから来ているようです。やはり豊臣家を滅ぼした印象が強いので、実像よりもしいたげられてきました。けれども、豊臣ファンとしては淀君ではなく、親しみを込めて茶々さんと呼びたいですね。
編集部F: ちょっとだけしんみりとした話になってしまいましたね。最後に、茶々に関して小話でも。
小日向: えっと、茶々はタバコを吸った初めての日本人女性だという俗説があります。当時、タバコは外国から伝わってきたお薬とされていて、高貴な身分の人だけが手に入れることができたそうです。きっと秀吉とともに大坂城でくつろぎながら茶々もタバコを楽しんだことでしょうね。
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