大名たちが争いを止めなかった「沼田問題」って?「真田丸」を100倍楽しむ小話(2/2 ページ)

» 2016年06月11日 08時30分 公開
[ITmedia]
前のページへ 1|2       

小日向: 今はもう沼田城はなく、河岸段丘の台地の上にある城跡が沼田公園という大きな広場になっています。びっくりするほど巨大で、東京ドーム2個分以上の広さです! 北条滅亡後、沼田城は真田信幸が入城し、1597年には5層の豪華な天守や3層の櫓が建てられていたようです。関東で五重の天守があったのは江戸城と沼田城だけでした。

 沼田城といえば、城代としてずっと北条氏と戦い続けた矢沢頼綱に注目してほしいです。真田昌幸の父である真田幸隆の弟とされていて、真田丸では綾田俊樹さんが演じています。

沼田城の城跡 沼田城の城跡

編集部F: いい感じの頑固オヤジぶりですよね。先週の放送では、秀吉の命令で沼田城を明け渡すことになったとき、「わしはここを一歩も動かんぞ」と縄で自らを柱とくくりつけていましたね。

小日向: あのシーンは最高でしたね。いろいろな合戦を調べてみると、頼綱がいなければ真田家は負けていたなというものが結構あります。頼綱のアシスト力が真田家にとって不可欠だったようです。北条氏直が沼田城を攻めてきたときには、7万人の北条軍をわずか2000人の兵で撃退したとも言われています。籠城の天才です。

 頼綱は、古くは信濃で有力な武将だった村上義清の下にいました。武田家家臣の幸隆が村上氏の砥石城を攻略する際に、内応したのは頼綱ではないかという説があり、私もそう思っています。

 もともと真田が有名になったのは、幸隆の砥石城乗っ取りがきっかけです。真田家が出世したのも頼綱のおかげだと言えます。また、真田家が最初に沼田城を手に入れたのも、頼綱と昌幸コンビによる華麗な調略です。そんな真田一族のキーパーソンである頼綱は、私が今最も気になっている武将で、今後も注目していきたいです。

前のページへ 1|2       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.