例えば、いまでこそミネラルウオーターを買うというライフスタイルは、消費者に定着して3000億にも届こうかという市場規模となっているが、1983年に紙パックの「六甲のおいしい水」などが発売されたときは、「タダの水が牛乳よりも高い値段で売れるのか」「水道水の味とそんなに違いはないだろ」なんて否定的な声も多かった。
実際にそんな消費者の声を受けて、東京都消費センターが「おいしい」をうたう水をざっと取り寄せて「テスト」を行って、以下のようなダメ出しをしたこともある。
『きき水した結果は、三十二銘柄は湯冷ましの水道水と識別できなかったという』(朝日新聞1987年6月25日)
90年代に入り、エビアンやボルビックなど海外の水が人気を博してからも、一部は「首から下げたりするオシャレグッズでしょ」と冷ややかにみていた。2000年代になると市場は1000億円を突破。10年後には2倍に成長するとされてもメディアは「いかがわしい産業」という疑念がぬぐいされずにいた。例えば、『週刊東洋経済』はこんな風に業界の未来を見ていた。
『これから市場成長期を満喫するはずのミネラルウォーター市場。しかし、そこには早くも消耗戦の気配が漂っている。誰が最後に笑うのか――いや、結局、誰も潤うことはないのかもしれない』(東洋経済2003年7月19日)
だが、結果は違った。10年を経て、炭酸水、ご当地の名水、ウオーターサーバーなどで、規模の大きさにかかわらずさまざまなプレイヤーが参入。「健康」や「美」を訴求する、「アルカリイオン水」「酸性水」など「水」の価値を広げる分野にも続々とニューカマーが現われている。
『東洋経済』の予想があてにならないなどと批判しているわけではない。その時代のムードの中では、「こんないかがわしいものは売れないよなあ」という声が溢れていても、なんとなく消費者に受け入れられ、いつの間にやら当たり前のように社会に定着する、ということがわりとよくある、ということが言いたいのだ。
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