JR九州上場から、鉄道の「副業」が強い理由を考える杉山淳一の「週刊鉄道経済」(3/6 ページ)

» 2016年07月08日 08時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

副業と鉄道で利益を生む「小林一三モデル」

 6月30日に東京証券取引所に上場を申請したJR九州は、自社沿線にとらわれないという意味で、紀州鉄道タイプの不動産会社になりつつある。鉄道会社、JRグループという強力なブランドで、沿線を離れ、国内外に不動産事業を展開する。これは不動産業界としては脅威ではないか。

 明治5年の鉄道開業以降、日本の鉄道建設の主な目的は、貨物輸送、都市間旅客輸送、地域貢献、参詣鉄道、観光鉄道であった。このうち前者2つは富国強兵、産業振興の要であり国策として進められた。地域貢献は官営鉄道のルートから外れた地域で自発的に始まり、参詣鉄道、観光鉄道は利益獲得目的で民間会社が参入した。共通点として、既に目的地が発展しており、起点と終点の間に輸送需要があった。

 そこに「沿線開発」という新しい概念を持ち込んだ人物が現れた。阪急電鉄創始者の小林一三だ。

 阪急電鉄の前身、箕面有馬電気軌道は、大阪・梅田から温泉や紅葉への観光需要を当てにしていた。しかし、採算面で疑問視する声が多かった。箕面有馬電気軌道を託された小林は「お客が少ないと思うなら増やせばいい」と考えた。沿線の農村を住宅地として開発し、鉄道の通勤客を獲得。起点にはデパートを建てて休日の買い物客を獲得。通勤や退勤とは逆方向の列車の客を作る手段として学校を誘致。宝塚線では休日向けに遊園地や劇場を作り、後の宝塚劇団、東宝グループへと発展していく。

 この考え方は、東京では渋沢栄一の田園調布開発に生かされた。小林も渋沢の計画に参与していた。しかし多忙な小林は阪急で忙しいため、代わりに東京在住者の五島慶太を推薦する。

 五島は渋沢の田園都市株式会社から鉄道事業を継承し、目黒蒲田電鉄を分離独立させる。これが東急電鉄の前身となった。こうして鉄道会社の高収益モデルとして「安価で広大な土地を獲得し、鉄道を敷設して土地の価値を上げ、不動産事業を推進しつつ、鉄道の旅客も増やす」というビジネスモデルが出来上がった。これを小林への敬意を込めて「小林一三モデル」と呼ぶ。

小林一三については阪急電鉄公式サイト内に詳しく紹介されている 小林一三については阪急電鉄公式サイト内に詳しく紹介されている

 小林一三モデルにおいて、鉄道沿線住民のあらゆる経済活動が鉄道会社グループに環流される。素晴らしくもあり、恐ろしくもある。

 私の父が東急田園都市線の多摩田園都市エリアに土地を買った。かなり安かったそうだ。まだ山林で整地されていなかったし、電気も電話も通じていなかった。宅地として整備されるまで10年以上かかった。父はそこに家を建てた。就職したばかりの私は約7年間を過ごした。そこではあらゆる消費が東急グループにつながっている。通勤すれば電車賃を払う。買い物は東急ストアに東急ショッピングセンター。東急資本ではない店も、土地や建物は東急不動産の斡旋(あっせん)や賃貸だ。

 バスももちろん東急だし、マイカーを使ったとしてもガソリンスタンドは東急系列の経営だった。まるで東急ランドというテーマパークで暮らしているようだった。それに気付いている人は少なく、気付いている人も不満はない。東急ブランドの効果だ。もちろん私も不満はなかった。今も実家に帰ると、こっちで暮らしてもいいかなと思う。不満があるとすれば、実家の窓から電車が見えないことくらいだ。

 小林一三モデルのうまみは鉄道路線の延伸と新規開発にある。ただし、新路線建設計画が落ち着くと、このモデルは終焉(しゅうえん)を迎える。少子高齢化傾向になり、バブルで都心の事業所が郊外へ移転し、そこへマンションが建つと、人々の都心回帰傾向が始まった。私鉄系不動産会社は、新たな土地を求めて、都心のリノベーション物件やリゾートなど沿線外地域の開発へ手を広げた。

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