何があったのか バッシングを跳ね返した侍Jの小久保監督赤坂8丁目発 スポーツ246(2/4 ページ)

» 2017年03月17日 07時30分 公開
[臼北信行ITmedia]

猛バッシングを受けて「更迭論」も

 2015年の秋に東京ドームで開催された世界野球「プレミア12」の準決勝・韓国戦(11月19日)で、好投していた大谷翔平(日本ハム)をベンチに下げ、3点差でリリーフ陣を投入。ところが、まさかの継投失敗で9回に一挙4得点を奪われて逆転された。

 以来、悪夢の惨劇を招いた張本人として小久保監督は猛バッシングを受けるようになり「更迭論」も持ち上がるようになっていたが、今回のWBCまで契約が残っていたことでNPB(日本野球機構)は特に動く様子もなく小久保体制の続投に踏み切った。そうなれば批判は当然治まらない。特にネット上でのブーイングは一向に沈静化せず、WBCを前に「これだけ応援を得られない侍ジャパンは大丈夫なのか」と不安顔を浮かべるNPBの関係者も実際に少なくなかった。

 だが、小久保監督はこの間もまったくブレていなかった。プレミア12以降、猛バッシングを受け続けても平常心を貫き、動じる様子も見せていなかった。周囲には「今のオレはどうせ何をやっても叩かれる」と笑い飛ばし、開き直りの姿勢を見せていたとも聞く。「普通ならば、あれだけの批判を受けたら辞任してもおかしくない。ところが小久保監督の頭の中に『辞める』という選択肢はまるでなかった」とNPB関係者は語っていた。

 それを象徴するようなことがあった。プレミア12が終わった翌日の総括会見で報道陣から「責任を取る考えはないのか」と暗に辞任を促す質問を向けられたが、小久保監督は平然としながら「僕がですか?」と口にして目を白黒。辞任する考えはなく、WBCまで任期をまっとうする考えを改めて強調した。

 「あのプレミア12が終わった後に『進退伺いを出す』と言っても不思議はなかったが、彼の中にはその意思すらなかったということ。確かに小久保監督がもし『辞める』と言ったら代表監督の後任は特にいなかったし、大混乱になることは目に見えていた。とはいえ例えブラフでもいいから世間からのバッシングを沈める意味で、そんなセリフを口にするのもアリだったんじゃないかなと我々の側からすればそう思ったのも事実。だが、彼はそれを良しとしなかった。

 もし『進退伺い』や『辞める』というようなことをブラフで言ったとしたら、自分の求心力が後々チーム内で下がってしまうことが分かっていたからだ。その辺りは今にして思うと、小久保監督は非常に冷静な判断ができていたと言えるかもしれない」(前出のNPB関係者)

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