剛力彩芽が叩かれる背景に、日本人の国民性スピン経済の歩き方(5/6 ページ)

» 2018年07月31日 08時00分 公開
[窪田順生ITmedia]

「いじめ」や「他者攻撃」を正当化してきた

 そういう国民がネットやSNSというツールを持てば、「出る杭」を執拗(しつよう)に叩いたり、「空気を読めない人」を私刑する「不謹慎狩り」が始まったりするのは当然だ。これが誰かに命じられたものではなく、我々のメンタリティからくるものだということは、歴史が証明している。

 例えば、満州事変が起きた年、東京・麻布で行われた反戦運動に対する「私刑」だ。反戦ビラを街頭に撒(ま)いた人々を叩いたのは、陸軍でも憲兵でもない。戦後教育では「戦争に嫌々つきあわされた」と描かれる「市民」たちである。

 「付近の住民は時節柄とて憤慨し二、三十名が棍棒や薪を持つて『非国民を殴り殺せ』と追跡した」(読売新聞 1931年9月21日)

 棍棒や薪(まき)が「ネットの誹謗中傷」に代わっただけで、現代日本のネット上でやっていることとほとんど同じではないか。

 では、こういう「私刑」や「いじめ」を減らすにはどうすればいいか。個人的には、「格差社会が悪い」とか「安倍政権が悪い」みたいに、「責任転嫁しやすいもの」へと安直にもっていかないことが、まずは重要なことではないかと考えている。

 日本人はこれまでなんやかんやと理由をつけては、自分たちの「嫉妬深くキレやすく、同調圧力に弱い」という国民性から目を背けて、「いじめ」や「他者攻撃」を正当化してきた。

 分かりやすいのが、双子の100歳、「きんさんぎんさん」として一世風靡(ふうび)をした蟹江ぎんさんが体験した「私刑」である。彼女の一家は女の子ばかりということもあって戦時中、コミニティのなかで陰湿な「いじめ」を受けた。ぎんさんの四女が以下のように振り返っている。

 「道を歩くだけで、非国民といわれたがね。おっかさんも、"お前さんとこは女ばかりだで、人手が余っとるやろ"と、皆が嫌がる消防団の仕事や婦人会の仕事などを次から次へと押しつけられた」(NEWSポストセブン 2012年1月2日)

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