淡々として見える塚本さんは今まで一度だけ竹島水族館を辞めようかと真剣に悩んだことがあった。2017年2月に、「そら」と「たいよう」の子どもである「すみれ」が死んでしまったのだ。
「出勤をして声をかけると、いつもは鳴きながら寄って来るのに、その日の朝は動かずグッタリとしていました。正直、パニックでしたね。前日まで元気に走り回って、ごはんも食べていたのに……」
げっ歯類が専門の獣医師に診察を受け、死亡後は解剖もしたものの明確な原因は分からなかった。客を含むさまざまな人から死因を尋ねられる日々が続き、塚本さんは次第に追い詰められていった。
「竹島水族館のいいところは各自が個性を自由に発揮できるところです。逆に言えば、放ったらかし。求めない限りは誰も助けてくれません。悩みのはけ口がないんです」
ギリギリの段階で副館長の戸舘真人さん(38歳)から「大変だろうけれど頑張れよ」と声をかけてもらった。塚本さんは「いま自分が辞めたらカピバラが全部ダメになる」と気付き、今まで以上にカピバラの飼育法を学ぶことに決めた。
「電話やメールでいろんな動物園のカピバラ担当者の方に相談に乗ってもらっています。休日を使って直接会いに行くこともあります。先日は、お世話になっている大森山動物園(秋田県秋田市)にあいさつさせてもらってきました」
今のところわかったのは、動物園に比べると竹島水族館のカピバラ水槽の環境は良いとはいえない事実だ。狭さに加えて常に客の目にさらされるストレスもあるが、塚本さんが一番気になっているのは屋内施設のために太陽光を浴びる機会が少ないことだ。
「できるだけ外に出してあげたいし、部屋も広くしてあげたいと思っています」
今年の5月には「カカオ」と「ココア」という新たな赤ちゃんも死亡。やはり死因は特定できなかった。今後は、環境改善などの方向性がしっかりと決まるまではカピバラの繁殖に向けた取り組みは行わない方針だ。
塚本さんはもう弱音を吐かない。竹島水族館でカピバラに最も詳しいのは自分だと気付いたからだろう。悲しい経験を次に生かしていくしかないのだ。
今日も塚本さんはおとなしい。でも、弱くはない。大好きな生き物たちを元気に生かし、その魅力を客に伝えられる飼育員になるために、人知れぬ努力を重ねている。
大宮冬洋(おおみや とうよう)
1976年埼玉県所沢市生まれ、東京都東村山市育ち。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に入社するがわずか1年で退社。編集プロダクション勤務を経て、2002年よりフリーライター。2012年、再婚を機に愛知県蒲郡市に移住。自主企画のフリーペーパー『蒲郡偏愛地図』を年1回発行しつつ、8万人の人口が徐々に減っている黄昏の町での生活を満喫中。月に10日間ほどは門前仲町に滞在し、東京原住民カルチャーを体験しつつ取材活動を行っている。読者との交流飲み会「スナック大宮」を、東京・愛知・大阪などで月2回ペースで開催している(2018年7月現在で通算100回)。著書に、『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました』(ぱる出版)、『人は死ぬまで結婚できる〜晩婚時代の幸せのつかみ方〜』(講談社+α新書)などがある。 公式Webサイト https://omiyatoyo.com
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