「そうだ 京都、行こう。」はなぜ25年も続き、これからも続いていくのか杉山淳一の「週刊鉄道経済」(2/4 ページ)

» 2018年10月19日 07時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

「そうだ 京都、行こう。」はなぜ始まったのか

 「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンは1993年秋から始まった。きっかけはJR東海の営業戦略の必要性だけではなかった。タイミングとしては京都市と京都府、京都商工会議所が中心となって実施した「平安建都1200年記念事業」に合わせている。同事業では京都迎賓館の建設、京都国際映画祭(第7回東京国際映画祭京都大会)、京都国際ハーフマラソン(後の京都シティハーフマラソン、2009年まで実施)、地下鉄東西線の整備が行われた。また、京都の世界遺産登録の取り組みが結実し、「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録された。「そうだ 京都、行こう。」は、国内外に向けた京都観光の盛り上がりに先んじる形で始まっている。

 JR東海にとって「そうだ 京都、行こう。」はどんな意味を持つかといえば、ひとえに「東海道新幹線」の活用だ。1993年といえばJR東海の発足からわずか6年。国鉄時代のネガティブなイメージから脱する過程にあった。92年には朝夕限定で300系「のぞみ」の運行が始まる。86年から動き出した国内航空の規制緩和をにらみ、国鉄時代から始まっていた東海道新幹線の魅力アップの一環でもあった。「そうだ 京都、行こう。」のCMの最後に、企業ロゴと300系電車が映っている。新しい新幹線のイメージ作りである。

 93年に「のぞみ」が1時間に1本の運行になった。JR東海にとって300系の量産と投入は初の大規模投資だ。将来予想される航空会社の新規参入と価格競争を予測し、東海道新幹線の所要時間短縮の取り組みが始まる。しかし、ここで東海道新幹線の弱点が見えてくる。ビジネス色が強い新幹線は、休日の稼働率が下がる。この弱点を「伸びしろ」と捉えて、東海道新幹線のレジャー用途を開拓することが課題だった。

 ここで「平安建都1200年記念事業」がピッタリとハマった。日本で最もレジャー人口が多い地域は首都圏であり、JR東海にとってアプローチできるルートは東海道新幹線だった。そして、京都には空港がないという事実も重要だ。国内航空の規制が緩和され、航空運賃が下がり、航空便数が増大したとしても、東京〜京都間は東海道新幹線が最速であり、輸送量も多い。首都圏における京都キャンペーンは勝利を約束された試合だ。

 「そうだ 京都、行こう。」の初シーズンのCM「清水寺」編のナレーションは「中学校の時、修学旅行で来てるのになあ。全然違うなあ」だ。京都・奈良は首都圏の公立中学校の修学旅行先で最も多い場所の一つ。首都圏に住む大人たちは、原体験で京都を知っている。「大人の修学旅行」というフレーズもあった。「大人になったら違う感覚で楽しめる京都」を訴求し、成功を収めた。

photo 「そうだ、京都、行こう。」初回キャンペーンCM「1993年盛秋・清水寺」より(出典:YouTube

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