こういうコテコテの精神至上主義教育を受けた若者が高度経済成長期を管理職となり、「世界一の技術大国」という名声を手に入れた。日本のモノづくり現場がいまだに『下町ロケット』のようなスポ根から脱却できないのは、これが理由だ。
そんな日本のモノづくり現場の前身ともいう日本軍について、評論家の山本七平は『一下級将校の見た帝国陸軍』(文春文庫)の中でこう述べている。
『戦後、収容所で、日本軍壊滅の元凶は何かと問われれば、殆どすべての人が異口同音にあげたのがこの「員数主義」であった。そしてこの病は、文字通りに「上は大本営より下は一兵卒に至るまで」を、徹底的にむしばんでいた。もちろん私も、むしばまれていた一人である』(P.135)
なぜ員数主義が組織壊滅の元凶となったのか。山本は、軍隊内で行われていた帳簿上の数と現物の数とが一致しているかを調べる「員数検査」を例に説明している。軍隊というのは、軍服から銃弾ひとつとっても、すべて天皇陛下からのありがたい支給品である。ゆえに、紛失をするなどはあり得ない。もし部隊に支給された物品の数が合わないようなことがあれば、検査担当者からこんな罵声が飛んできた。
「バカヤロー、員数をつけてこい」
これは「他の部隊から盗んででも数を合わせろ」と暗に言っているのだ。この「員数合わせ」という名の犯罪行為は、いじめや体罰と同様、軍隊内では表向きはご法度だったが、現場レベルではまん延していた。
『盗みさえ公然なのだから、それ以外のあらゆる不正は許される。その不正の数々は省略するが、これは結局、外面的に辻褄が合ってさえいればよく、それを合わすための手段は問わないし、その内実が「無」すなわち廃品による数合わせであってもよいということである』(P.136)
もうお分かりだろう、この日本軍の検査現場でまん延していた「数合わせ」こそが、現在のモノづくり企業の「データ改ざん」のルーツなのだ。
日本軍が員数主義によってすさまじい勢いでモラルハザードが進んでいくのは、最前線で命をかけて戦った人たちの証言からも分かる。15歳で志願して航空隊で入隊して、大分や鹿児島で特攻隊の整備に当たっていた田辺登志夫さんは、沖縄作戦で連日のように特攻隊を見送った。
航空機不足で、最後は練習機まで出して、無線も機銃も外され、ほとんど練習していない若い搭乗員まで駆り出されるのを目の当たりにした。当時をこう振り返る。
『最新鋭のグラマン米戦闘機が何百機も待っているというのに、これでは沖縄へたどりつけっこない。それでも何機特攻を出せ、という命令が下れば、現場は出さなくてはいけない。結果が伴わなくても、ですよ。搭乗員も従った。軍隊はすべて「員数合わせ」だった』(朝日新聞愛知版 2018年1月19日)
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