――取締役を経て、社長に就任したのが帰国した翌年の3月ですね。わずか3年で赤字を脱することができた理由を教えてください。
私が社長に就任して最初にやった大仕事は、会社の資産だった自宅の売却です。人員のリストラはしていませんが、本業であるめっき分野に集中する過程で辞めていった社員が3人います。
私が帰国した当初、うちの会社には「溶射」といわれるコーティング技術を使った部門がありました。めっきとは異なる表面処理の分野です。稼ぎ頭の部門ではあったのですが、私の社長就任前に責任者が独立してしまい、売り上げが減り続けていました。
同業他社も見学させていただいた末に、溶射はやめてめっきに集中することに決めました。私たちは設備産業なので、溶射で競争に勝つためには最新の設備を入れ続けなければならず、その投資をする余裕はないと判断したからです。
溶射の仕事をしていた3人には、めっきに異動してもらうつもりでしたが、辞めてしまったので人件費はそれだけ減りました。ただし、それだけで黒字化できるわけではありません。会社の危機的な状況を社員にオープンにすることで、光熱費の節約から材料費の再検討に至るまでコスト意識を浸透させました。
うちは金などの貴金属めっきを扱うので、材料費が非常に高いのです。ちょっとしたコスト削減の工夫をするだけでも大きな効果が出ます。
――Webサイトなどを使って、時計以外の分野での営業活動も積極的に行ったそうですね。
時計のめっきは材料比率が6割近くに達してしまっていました。商談会に参加するなどの地道な営業活動もして、売り上げの9割を占めていた時計の比率を3年間で3割に下げ、売上高は同じでも利益を確保できる会社に変わったのです。楽器の売り上げを増やし、新たに医療機器、電子部品、宝飾品などのめっきも開拓しました。
例えば楽器は、メーカーや楽器店だけでなく個人からの1点物の注文を受けています。楽器はめっきによって見た目が良くなるだけではなく、音色も大きく変わるので、海外の演奏家からの依頼もありますよ。細かい対応が必要ですが、こうした仕事を積み重ねると高い利益を得ることができます。
――伊藤さんが社長に就任した2000年当時は、めっき会社を取り巻く環境は今以上に男性社会だったのではないでしょうか。その中で女性社長としてどんなリーダーシップをとったのかを聞かせてください。
いまの日本社会は男性が作ったルールで動いています。それを変えて男女平等になるためには少なくとも50年はかかるのではないでしょうか。
私が社長としてやりたかったことは自己主張ではありません。会社を良くして存続させることです。自分の中のYES/NOを押し通すのではなく、環境にのまれながらも自分の方向性をうまく見いだすことが必要だと感じました。
当時の弊社は、社員の平均年齢が59歳で、その7割が男性でした。全社員の中で32歳の私が一番年下です。年下の女性が上司になることが面白いはずがありません。「何の苦労もしていない娘のくせに」という気持ちがあることも分かっていました。私は毎朝全ての社員にあいさつして回ることを日課としていますが、あいさつを返されずに無視されることもあったくらいです。
でも、社長の権限で考えを強制しても人は変わりません。「〇〇さん、相談があるんですけど」と敬意を持って話しかけて、時間をかけて口説く必要があると思っています。
今では63人の社員の平均年齢は30代後半と若返りました。19年は5人の新卒者が入社する予定です。年下が相手でも敬意を払いますが、はっきりとものをいえるようになりました。社員が何かをやらかしたら、「どうしてそんなことするの!」と叱っています(笑)。
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