インタビュー
» 2018年11月18日 10時00分 公開

戦力外になった後輩に経験伝えたい:高卒でプロ野球を戦力外 16年後に「公認会計士」になった男の逆転人生 (4/6)

[濱口翔太郎,ITmedia]

井川投手とのコントラストに悩む

 そこから奥村さんが「本当にやりたいこと」に出合うまでの道のりは長い。退団後、友人とバーを開業するも続かず。次はシェフになろうと思い立ち、昼間は調理師学校に通い、夜間はホテルの調理場や飲食店のウエイターなどの職を転々とした。だが、プロ野球選手を目指していた頃のように、「将来は独立したい」「こんなシェフになりたい」といった明確な夢やキャリアプランは思い浮かばなかった。

 奥村さんが将来に悩んでいた03年、くしくも古巣のタイガースがリーグ優勝。エースとして大活躍し、優勝に貢献したのは、かつて同じスタートラインに立っていた井川さんだった。

 「当時、自分は一生懸命働いても日給7000〜8000円なのに、井川は数億円の年俸を稼ぎ出していました。その現実を目の当たりにして初めて、『本当にこれでいいのか』『今後の人生について真剣に考えねばならない』と危機感を覚えました。ですが、一般社会に出たばかりで見識が少なく、どうしても飲食業など狭い選択肢の中で一生の仕事を探そうとしていました」

彼女からのプレゼントが転機に

 そんな悩みを抱え込んでいた奥村さんを見かねて、後に妻となる当時の彼女が、一冊の本をプレゼントしてくれた。

 「仕事を終えて帰宅すると、机の上に、世の中のあらゆる資格を収録した図鑑が置いてありました。とにかく視野を広げてほしいとの思いがあったようで、医師や弁護士はもちろん、『ひよこのオス・メスを識別する資格』などマイナーなものも載っていました。興味を持って読み進める中で、ふと目に飛び込んできたのが公認会計士でした」

photo 投球する奥村武博さん(写真提供:日刊スポーツ)

 奥村さんはかつて、土岐商業高校在学中に簿記を学んだ経験がある。その経験を生かして公認会計士となり、ビジネス界で活躍するという目標は、飲食業で働き続ける将来像とは違い、目指すべきものとしてイメージできたという。

 06年に受験制度が改正され、大学で所定の単位数を取得していなくても受験可能になったことも、高卒でプロ入りした奥村さんは不思議な巡り合わせだと感じた。予備校の説明会に足を運び、合格率が1桁台であることも知ったが、かつて出場が同じくらい難しい甲子園行きに王手をかけた経験から、「狭き門だけど、なんとかなりそうだ」と直感した。

 霧が晴れたように感じ、予備校に入学した奥村さん。当時を振り返り、「それまでは遠征の新幹線の中でしか座ったことがなく、机に向かった経験はほぼなかったので、勉強する習慣作りに苦労しました」と苦笑いする。

 勉強に専念するため、学費を捻出するために続けていたアルバイトは全て辞め、07年に上京。「資格の学校 TAC」の正社員として就職し、パンフレットの編集といった仕事をしながら受験勉強を続けた。

 経済的な基盤を得て、勉強にますます身が入った奥村さんは、知識や解き方をどんどん吸収。09年に「短答式試験」に合格した。だが、ここからも険しい道のりが待ち受けていた。

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