稀勢の里が「ケンシロウ」になれなかった理由赤坂8丁目発 スポーツ246(3/4 ページ)

» 2019年01月17日 13時00分 公開
[臼北信行ITmedia]

もし「休場」していれば

 いつまで経っても「打倒・白鵬」を成し遂げられそうな日本人力士が現れなかったので、腐心していた日本相撲協会の幹部たちも、この流れにひざを叩いて乗っかった。横綱審議委員会のメンバーも同じだ。とはいえ、こうしてあらためて振り返ってみると、ここで相撲協会と横審の面々が明らかに先急ぎ気味の“稀勢の里推し”にシフトしたことは、結果的に一長一短だったのかもしれない。

 猛プッシュを得て遂に番付最高位に昇進した稀勢の里は、新横綱として臨んだ2017年春場所で左胸などを負傷しながらも劇的な逆転優勝。まるでドラマのような展開に、日本中が稀勢の里フィーバーに包まれたのは記憶に新しい。だが、これが皮肉にも稀勢の里のピークとなってしまった。

 あえて「たられば」であることを承知の上で言う。この春場所13日目の日馬富士戦で寄り倒された際に、左肩を負傷して古傷を作ってしまった稀勢の里に対し、休場を強く進言できるような人間が周囲にいれば、もしかするとその後の横綱人生はもっと好転していたような気がしてならない。

 そういう観点で見ると、やはり相撲協会と横審の面々、そして何より一番身近にいるからこそ最も距離を縮めていなければいけないはずの田子ノ浦親方がいかに稀勢の里に甘く、その場しのぎのことしか考えていなかったのだなとつい邪推してしまう。それは、ここまでなかなか「やめる」と言わずにずるずると現役を続けていた稀勢の里に周りの誰もが結局厳しい直言を口にできず、引退決断を本人任せにしていたこととも深く関係しているように思える。

 つまりは愚直で責任感が人一倍強い稀勢の里の周辺に、大事なところでセーブをかける金言を送れるような頼れる存在が誰もいなかったということだ。つくづく入門時の師匠だった先代・鳴戸親方の急逝が惜しまれる。

 しかしながら思えば、それも無理はないのかもしれない。今の相撲協会幹部たちは、元貴乃花親方との覇権争いがクローズアップされたことから一目瞭然であるように、土俵の取組よりもどちらかといえば権力死守にご執心の様子。ベクトルが違う方向に向いているので、白鵬をコントロールできず、事実上の野放し状態で好き勝手にされ、いつも根絶を宣言しながら繰り返している暴力問題だって収まらない。組織としてこんな体たらくばかりが目立つようでは、せっかく稀勢の里が待望の日本出身横綱になっても本領を発揮できるような環境は整うはずもないだろう。

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