#SHIFT

働き方改革は「平成の戦艦大和」になるのか平成日本の最期(4/7 ページ)

» 2019年03月29日 06時00分 公開
[與那覇潤ITmedia]

転向した平成の論客たち

 目下の安倍政権が発足した12年末の前後は、そうした「ロスジェネの味方論客」の転向の季節でした。「経済無策の民主党政権よりはアベノミクスだ」とうたって現政権を支持し、結果的に13年夏の参議院選挙での与党の過半数回復を助けたわけです。今ごろになって「なぜ安倍一強は崩れないのか」と言っている方もいますが、大前提は「ねじれ国会を解消して、衆参両院で過半数を持っているから」に決まっています。

 私も含めて平成の言論人には、多かれ少なかれ「万年野党コンプレックス」があります。いくら正論を唱えても、まったく採用されずに「昭和の社会党と同じだ」と揶揄(やゆ)されるのが怖い。それだけは絶対に嫌なので、「自分は政治家や官僚や企業家とつきあって、現実に影響を与えている」と誇示する方も出てくることになります。

 もちろん、アベノミクスの基幹をなす保守主義――日本型雇用の永続を望む発想に共鳴する人が応援団を務めるのは、当然のことでなんの問題もありません。しかし、ロスジェネの味方からの「転向組」はどこか後ろめたいのか、根幹とは遠い枝葉の部分で「自分は大勢順応ではない、リベラルな人間だ」とPRする癖があるようです。それはメディアを一時的に騒がせますが、長期的にはほぼ効果を持ちません。

 彼らが狙うのは「誰の目にも『時代錯誤』と思ってもらえそうな」保守派の失態です。子育ては専業主婦がやるのが当然とか、子どもを作らないLGBTには生産性がないとか、空気を読んでセクハラを見逃すのも女の仕事とか、異常な校則や体罰もしつけには必要とか、道徳の授業で戦前的な集団主義を教えようとかですね。そうした政策が判明したり、口をすべらす軽率な政治家が現れたりするたびに、「抗議」を表明してブログやSNSを更新する人たちを目にした方も多いのではないでしょうか。

photo 「誰もが怒る発言」ばかりを批判し続けるだけで、本当に社会は変わるのか(写真提供:ゲッティイメージズ)

 そうした批判に、まったく意味がないとは思いません。しかし彼らは、それらとアベノミクスとが、保守主義として一貫した政策のパッケージをなしている点を見落としてはいないでしょうか。「女性は家で子育て、働く場合も非正規が基本」という昭和的な前提なしでは、「正規雇用の恩恵がいつか国民全体を覆います」という経済運営は機能しません。そして利回りが低下しても同じ会社に勤め続けてもらうには、「多少ブラックな環境でも、最後まで集団に尽くす人が美しい」という価値観を普及させる必要がでてくる。保守的な発想のゆえんとなっている社会構造を見ずに、道徳の問題だけをたたいているから、いたちごっこにしかならないのです。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.