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働き方改革は「平成の戦艦大和」になるのか平成日本の最期(1/7 ページ)

» 2019年03月29日 06時00分 公開
[與那覇潤ITmedia]

特集「ポスト平成の働き方」

2019年5月1日に元号が変わり、新たな時代が幕を開ける。平成の約30年間でビジネス環境は大きく変化した。その最大の要因はインターネットの登場である。しかし一方で、働き方や企業組織の本質は昭和の時代から一向に変わっていないように思える。新時代に突入する中、いつまでも古びた仕事のやり方、考え方で日本企業は生き残れるのだろうか……? 本特集では、ポスト平成の働き方、企業のあるべき姿を探る。

第1回:「平成女子」の憂鬱 職場に取り憑く“昭和の亡霊”の正体とは?

第2回:「東大博士の起業家」ジーンクエスト高橋祥子が考える“ポスト平成の働き方”

第3回:「3年以内に辞める若手は根性なし」という批判が、時代遅れになった理由

第4回:我々はこれからもオフィスで働く必要があるのか?

第5回:麻布、東大、興銀……エリートコースをあえて捨てた男の仕事論

第6回:あなたは「上司の命令なし、社員が何でも決める」職場で働きたいか

第7回:自由な働き方を実現させる最終兵器 「ABW」は日本で根付くのか?

第8回:「65歳以上の社員募集」「未経験可」――パソナが“仰天採用”に込めた狙いとは

第9回:有線放送のUSENが働き方改革に商機を見出だす訳 田村社長に直撃

第10回:本記事


一次室(ガンルーム、中尉少尉の居室)にて、戦艦対航空機の優劣を激論す

戦艦優位を主張するものなし

「『プリンスオブウエールズ』をやっつけて、航空機の威力を天下に示したものは誰だ」

皮肉る声あり

――吉田満『戦艦大和ノ最期』 (表記を現代かなに改変)

 「平成最後の月」となる2019年4月、いよいよ高度プロフェッショナル制度(高プロ)が施行されます。導入をめぐって18年春に、国会審議が荒れたことはご記憶かと思います。

 当時、病気のために大学の常勤職(准教授・日本近代史担当)を離れ、肩書きのない状態で最初の本『知性は死なない 平成の鬱をこえて』(文藝春秋)を出した直後の私は、法案の成立をひとしおの感慨をもって見ていました。あたかも帝国日本の終幕劇と同様に、「ああ、また戦艦大和が行く……」というのが、そのとき抱いた感想です。

 戦史好きの方がよく口にするジョークに、「大和・武蔵を造らなければ勝てた」というものがあります。大艦巨砲主義の時代は終わっていたのだから、結局役に立たなかった巨艦二隻に投じた資源で、むしろ作れるだけ戦闘機を量産すべきだった。それなら制空権をとれた、という含みですね。

photo 働き方改革は「戦艦大和」になるのか(写真提供:ゲッティイメージズ)

高プロは「平成の戦艦大和」か

 高プロ導入の是非をめぐる議論で、見落とされがちだったのは「『古い働き方』がまだ根強く残っているところに、中途半端に『新しい働き方』を導入して大丈夫か」という観点でした。高プロのような「純粋に成果に対してのみ給与を払い、その成果を出すための時間の管理は本人に任せる」働き方自体は、たとえば原稿料の支払い法がそうであるように、必ずしも異常なものではありません。

 しかし問題は、「わが国に職場では『仕事はみんなで行うもの』という雰囲気がある」 ことです。いったん正規雇用で雇われると、原則として定年まで解雇されない代わり、本来の業務に限らず職場で振られる仕事はなんでもこなす「柔軟な働き方」が求められるのが、いわゆる日本型雇用(長期正社員雇用)の特徴でした。日本の労働者は一般的に言って、個人で操縦する飛行機のパイロットよりは、全員が一蓮托生で協業する船舶のクルーに近いのです。

 諸外国(特に欧米)のように分担する業務の内容を契約書で明確に規定し、「担当外の業務はしなくていい、ではなく、やってはいけないという厳格な職務分掌」 の慣行が確立されていれば、高プロにも一定の合理性が生まれるでしょう。しかしそれなしに、単に労働時間を給与の換算基準から外すだけでは、自分の職務は終わっているのに「手が空いてるならあれも、これも」と無限に使われることになってしまいます。

大学教員でも前提を満たさない

 ひとことで言えば、高プロを導入するなら前提として「私の仕事はしっかりやります。しかし、そうでないものをやれと言われたら断ります」と働く側がきちんといえる、新たな労使関係への変革が必要でした。しかし日本の職場はいま、そのようになっているでしょうか。

 私の旧職をふり返ると、教育職の給与体系はある意味で昔から高プロ(残業の概念なし)であり、しかも大学教員には「大学の自治」ということで相対的に強い裁量権が認められているはずですが、まったくそんな雰囲気はありませんでした。定められた手続きを無視して、各教員の負担が「純増」となる新科目を作ると上司(学科主任)が言い出した際、長期的に心配される諸点を指摘して反対したところ、同僚の一部から罵声をあびたことがあります。

 普段は学問のプロだ、論理的思考力だ、などと口にしていても、結局は「集団の空気」を優先する人たちなんだなと感じたのを覚えています。高度プロフェッショナルなる人々が働く職場も、そう大きくは違わないのではないでしょうか。

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