インタビュー
» 2019年04月10日 08時00分 公開

ゴーン報道の「第一人者」が語る【前編】:ゴーンという「怪物」を生んだのは誰か 日産“権力闘争史”から斬る (3/5)

[服部良祐, 今野大一,ITmedia]

「独裁者」となる転機

――ルノーとの提携直後に日産を再生させた手腕については、やはり評価しているのですね。

井上: 日産で当時、開発コストに加えて特に課題だったのが過剰な設備です。自動車メーカーは設備投資額が大きいだけに、動いていない設備や人員を持つと一気に赤字になる。日産は人を切って工場を閉鎖するという「痛みを伴う改革」をしないと、沈没する状態でした。

 (日産・ルノー提携時の)塙社長を初めとした日本人幹部も、こうした問題の根幹は分かっていたと思います。しかし彼らにはしがらみがあった。実はゴーン前会長はあらゆる局面でこうした“使われ方”をされてきた人物でした。(やはり再建で活躍した)ルノーもいわば往年の(日本の)国鉄のような状態で、危機感がありませんでした。リストラが必要だったため、彼が連れてこられたのです。

――その後、「独裁者」となる転機は何だったのでしょうか。

井上: 2005年までの彼の経営者としての実績は優れていたと思います。いわば「救急救命医」として高い能力を持っていました。だから04〜05年ごろに辞めてビッグ3(ゼネラルモーターズなど米自動車メーカー上位3社)のどこかにでも移れば、かつてのマッカーサーのように(離日後も日本で)尊敬される存在になっていたかもしれない。

 西川広人社長も言っていましたが、(05年に)ルノーのCEOにも就任して権力が「一極集中」しました。かつては現場に足しげく通い、社員の言うことにも耳を傾けていた。しかし、ルノーCEO就任後は1カ月のうち日本にいるのは1週間くらいになり、社内にゴーン前会長の目が行き届かなくなりました。

 しかも日産はリストラが終わり、いわば「集中治療室から出た普通の体」になりました。健康な体になってサプリや漢方薬を飲み、継続的な成長を続けるべき時になってもゴーン前会長はリストラを続けました。彼の経営手腕と日産の状態がマッチしなくなってきたのです。

 製品開発にお金を掛けたり、値引きしなくても顧客が欲しがる車を作ったりする点については、彼はあまり得意ではありませんでした。しかし05年に両社のトップになることで誰も文句が言えなくなった。そして07年に日産はゴーンの社長就任以来、初の減益になりました。コスト削減をし過ぎたことで現場が疲弊し、やり方を変えなくてはいけなくなっていたのに、です。社内でも「ゴーン流経営の限界」がささやかれていました。

 ただ08年のリーマンショックでトヨタやホンダが大きく落ち込む中、日産はリカバリーが早かった。車種やコストの削減など、ゴーン前会長が大胆に決断したのです。11年の東日本大震災時も、多くのメーカーのサプライチェーンが断絶しましたが、12年3月期決算ではトヨタとホンダが減収減益だった一方、日産は増収増益でした。即座に判断できる「救急救命医的な能力」はやはり優れているのです。

 しかし、リストラとコスト削減中心の施策の「化けの皮」は既にはがれていました。リーマンショックと震災でゴーン前会長が能力を発揮してしまい、(それまでの失点が)塗りつぶされてしまった。

 その後、13年の中間決算では他社が震災から復活していたのに、やはり日産だけが減益になりました。新興国やEV(電気自動車)に投資し過ぎたゴーン前会長の経営ミスだと思います。ゴーン前会長は責任を問われるべきだったのに、その責任を部下(当時の志賀俊之・最高執行責任者)に押し付けました。ゴーン経営は「変質」してしまった。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

アクセスランキング
  • 本日
  • 週間