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ゴーンという「怪物」を生んだのは誰か 日産“権力闘争史”から斬るゴーン報道の「第一人者」が語る【前編】(2/5 ページ)

» 2019年04月10日 08時00分 公開

独裁と抗争の“権力闘争史”

――本書でも社長在任時に自身の銅像を作らせた川又克二氏(日本興業銀行からの転籍)、強引なグローバル戦略を進めた石原俊氏、第二労組のトップという立場で権力を掌握した塩路一郎氏と、独裁の系譜と抗争のドラマが描かれています。

井上: 塩路氏や石原氏の支配下は、「車やモノ作りが好きかどうか」より、いかに権力者に食い込めるかという世界でした。「超サラリーマン」のような人が集まった会社で、権力者が出ても(社員が)刺し違えたり「あなた(のやり方は)おかしいですよ」と言ったりせず、自分の損得のため従ってしまう。

 日産は日本を代表する企業です。社会的な信用もあり、金を湯水のように使えました。しかし99年ごろまでには、気が付いたら経営危機に陥っていました。

――石原氏による米国を初めとしたグローバル戦略といった失敗が続いた上、それまで融資してくれていた日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)が、山一證券などの倒産を目の当たりにして、自社の経営に注力しなければならなくなり、日産どころではなくなったのですね。結局、当時の塙義一社長が外資からの資本受け入れを決断し、最終的に提携を受け入れたルノーが再建のために日産へ送り込んだのがゴーン前会長でした。

井上: ゴーン前会長がやったこととは、モノづくりや販売の面で続いていた権力闘争や足の引っ張り合いのリセットでした。

 また、日産では取引先との関係が健全ではありませんでした。例えば自動車というものは2〜3万点の部品で作られていて、サプライヤーの企業から購入しています。日産では(社員の)天下り先がそういった会社でした。本社の購買部門の担当者とは後輩や先輩の関係なので、高額な部品を「なあなあ」の関係で購入していました。

 一方、トヨタは違っていました。もちろん(サプライヤーである)グループ企業に本社の社員が役員や部長として移ったりもしますが、あくまで厳しいマネジメントを敷いています。部品メーカーに対して「生かさぬよう殺さぬよう」鍛え上げることで、トヨタ本体と同様に筋肉質な企業にしていったのです。

 そうでなかった日産にメスを入れたのがゴーン前会長でした。私はその判断については間違っていなかったと思う。多くの人が(ゴーン体制下で)リストラされましたが、日産本体を含めてこのように“外科手術”をしなくては、全部が沈没していたでしょう。

photo 日産ではゴーン前会長の登場前から「派閥抗争」が繰り広げられてきた(写真提供:ゲッティイメージズ)

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