「変」の哲学で成長 名古屋発「世界の山ちゃん」の絶妙な名付けと看板の戦略長浜淳之介のトレンドアンテナ:(4/6 ページ)

» 2019年04月16日 05時00分 公開
[長浜淳之介ITmedia]

「鳥男」の誕生秘話

 鳥男のキャラクターが生まれたのは、98年であった。この頃の山本氏は経営の勉強も兼ねて異業種交流会に参加していたが、そこで名刺交換したとある社長のイラスト入りの名刺にいたく感激。早速、絵師を紹介してもらい、山本氏をモデルとしたユーモラスなイラストが完成した。

 「もうこれを看板にするしかない」と、栄店の看板から鳥男が登場するようになった。屋号も「世界のやまちゃん」から新規の店は「世界の山ちゃん」に変更された。同社によれば、今までと比べて少し高級感あるメニューを取り入れて『大人の山ちゃん』を目指したという。

 当時の店舗数は9店だったので、鳥男がイメージキャラクターになって以来の発展が目覚ましい。これも、「変」の哲学の実践である。

 05年の愛知万博によって、名古屋に対する関心が高まり、万博見学ばかりでなく名古屋観光の需要も喚起した。観光で注目されたのは、名古屋城などの名所旧跡と共に、独特の食文化である“名古屋メシ”であった。これを機会に、名古屋式喫茶、モーニング、ひつまぶし、みそかつ、みそ煮込みうどん、あんかけスパゲティ、きしめん、台湾ラーメンなどといった、名古屋メシがブレークし、観光客にとって名古屋を訪問する目玉の一つとなっていく。

photo 壁画の描かれた店舗

愛知万博を見越して東京進出

 世界の山ちゃんは、名古屋発祥の手羽先をメインとする居酒屋であり、幸運にもその波に乗った。

 01年ごろから、関東には「ゼットン」「かぶらやグループ」「ジェイグループ」などの名古屋出身の外食企業が進出しており、いずれも成功を収めていた。名古屋メシが既にトレンドになっていたのだ。

 愛知万博を見越して世界の山ちゃんも、03年に京急川崎駅近くに関東1号店となる川崎砂子店をオープン。さらに、04年に新大久保店を出店して、東京都内に初進出を果たした。

 03年に27店だった店舗数は、04年には35店に増えた。さらに、05年には47店に増え、06年に50店に到達した。その後も、順調に出店を重ね14年に海外1号店となる香港尖沙咀店をオープンしている。

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