メディア
コラム
» 2019年04月18日 05時00分 公開

今読まれるべき「大和のこころ」:令和の典拠『万葉集』 中西進が語る「魅力の深層」【前編】 (3/5)

[中西進,ITmedia]

家持の執心――越中

 越中はいうまでもなく越(こし)の国の一部である。古く越の国は、ほとんど大和朝廷と対立的でさえあるような、遠隔の王国だった。いや、古くといってもそう遠いことではない。『古事記』におさめられた歌謡のころ、志貴皇子(しきのみこ)をうんだ母親を越の君の道の娘(いらつめ)とよぶほどの時代である。なるほど愛発(あらち)の関の向う側は、日本海を交通路とする、雪深い異郷であった。

 越中の万葉もまた、こうした風土から生まれた。ここは「天ざかる 鄙(ひな)」であり「立山に 降り置ける雪を 常夏に 見」(巻17-4001)る世界であり、秋ともなると「雁がねは 使(つかひ)に来むと 騒くらむ」(巻17-3953)と、北方はるかシベリアの川辺をも連想させるような、北方圏の世界であった。奈良の都から北陸へのびた道は、もう越中より先にはいかない。婦負(ねい、当時はメヒ)の野をおおう雪の歌(巻17-4016)が都人によってよまれた、北陸路最後の歌であり、いまの越後、弥彦の歌(巻16-3883)が万葉の収録した極北の歌である。

 これら越中吟のうちで、抜群に多くの歌を残したのが大伴家持である。だから彼の歌の傾向が、なかば越中万葉の色彩を決定した。

phot 富山県高岡市、高岡駅前広場の大伴家持像(Wikipediaより)

 その色彩の第一は、家持が雪に執心したことだろう。なかんずく雪上に照る月光と梅の花とのとり合わせをよんだもの(巻18-4134)は後々の日本美、雪月花を決定したものとして注目される。また立山の雪は彼を驚倒せしめ、畏敬せしめ、家持の清浄なる自然への憧れを培ったものといってよいであろう。彼は時として熱心に仏の浄土を夢みたが、それを現実として実感せしめたものが、雪の立山の自然だったと思われる。本来、大和の文学は暖色の文学である。その中に北方的な要素をもちこみ、大和の文学の幅を広げたものが、家持の越中赴任だったといえよう。

 色彩の第二は家持がしきりに海をよんだことである。海を知らなかった大和育ちの家持に海がめずらしかったのはもちろん、波荒い日本海をみて五年間をすごしたことは、なおのこと十分に衝撃的なことであった。あゆの風(東風)という方言まで用いて(巻17-4017)、家持は海上の景、漁の景をよむ。しかも旅人として途上の景をよむのではない。自分たちが舟をこいで、その一部となるような、日常的な海上の景をよむことによって、山国の文学であった大和の歌に、別の一面をそえたのである。

 また第三として家持は二上山を中心とするホトトギスの歌を多くよんだ。天平時代の歌人は夏の景物といえばまずホトトギスをよんだからごく平凡なことのようにも思われるが、実はホトトギスは死後の世界にかよう鳥であった。どうも家持は楽しい風物としてホトトギスをよんだのではないらしい。冥界に往還し、亡者を思い出させる鳥としてこれをよんだと想像されるのだが、これは越が山ごしの世界と考えられていたことと、無関係ではあるまい。うら返しにすれば望郷の念となる。その異界への深い沈潜も、越中の歌をいろどる大事な一面であった。

phot 大伴家持は雪に執心した。雪上に照る月光と梅の花とのとり合わせをよんだものは後々の日本美「雪月花」を決定した(写真提供:ゲッティイメージズ)

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

アクセスランキング
  • 本日
  • 週間

    Digital Business Days

    - PR -