――帰国してから出版の道に歩み始めたきっかけを教えてください。
大学院生の時分にご縁があり、京都書院という美術出版社でアルバイトをしていました。右も左も分からない私が、彫刻家の舟越桂さんの本を担当させてもらったことがあります。彫刻をスタジオに運び込んで撮影するところから製本に至るまで、1年間に渡って関わらせてもらいました。舟越さんは人間と向き合い、考え続けている作家です。今でも深く尊敬しているアーティストと出会えたことは大きな出来事でした。
その際にお世話になっていた方が京都で青幻舎という出版社を立ち上げることになり、私も誘ってもらいました。今では大きな会社になっていますが、最初は数名のスタートです。私は編集者として実用本から豪華本までを手掛けていました。
当時は20代半ばだった佐内正史(編集部注:くるりや中村一義らのアルバムジャケット写真も数多く手掛けている写真家。木村伊兵衛写真賞受賞)さんと、大橋仁さん(編集部注:福山雅治さんなど数多くのアーティストのプロモーションビデオや雑誌などでも活躍する写真家)に出会ったのは転機でした。デザイナーからの持ち込みで写真集を作ることになり、写真のことは何も分からないままに担当しましたが、「こういう世界の見え方があるんだ」とショックを受けたことを覚えています。
佐内さんが撮っているのはガードレールや電柱といったありきたりのものです。でも、それが自分たちの眼差(まなざ)しに近いと感じたり、「私はこの日差しを知っている」と思ったり。撮っているものは特別ではないのにこの世界の見え方は何なのだろう、と驚きを覚えながら働きました。この仕事は『生きている』という写真集になっています。
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