――写真だけでなく、写真家という存在にも強くひかれたのですね。
はい。作品は作家の眼差しや身体を通して見た世界です。作品と作家は切り離しがたいものだと思っています。
佐内さんも神経が張りつめているようなすごい人ですが、大橋さんとの初対面は強烈でした。青幻舎の社長も含めて飲みに行った際、大橋さんから何かを言われた私は全体重をかけて殴ったらしいのです。私は酔っていて覚えていないのですが、ずいぶんたってから大橋さんとのトークイベントの席で暴露されました(笑)。
普段の私は酔っていても人を殴ったりはしません。セクハラのような話ではなく、私の心にある何かを大橋さんにえぐられたのだと思います。
そんなこともあって、写真というものにどんどん傾倒していき、会社員としてのバランスが取れなくなりました。10年間お世話になった青幻舎を辞めて、赤々舎を創業したのが2006年のことです。
――その後の赤々舎は、新人の写真家を発掘して木村伊兵衛写真賞などの大きな賞を次々と受賞しています。写真や作家を選ぶ際の判断基準を教えてください。
私自身の美意識には基づいていないのは確かです。写真史的な位置付けもあまり意識していません。そうやって測ってしまえるものには驚きがないからです。既存の基準では測れないもの、何だろうと謎が深まるようなもの。そんな写真を探すことが大事だと私は思っています。
写真は目の前に何かがなければ撮ることができません。だから、自分の中だけで完結するのではなくて、外部と関わり、問いを投げかけるものだと思います。
自分の内的な世界や自我を表現することは、実は誰でもやっていることです。そうではなく、社会との接点、私たちが生きていることとの接点を持つような写真に私は興味があります。写真は一つの窓のようなもので、その窓を通して今の時代や人と人との関係を見つめたいのです。
どんな立場の人も生きづらさや寂しさを抱えているものだと思います。そこに触れ得るような作品を作りたいという思いは強いです。振り返ってみれば、上海で出稼ぎの人たちの生々しい表情を見たときの衝撃が今につながっているのですね。私は人間に興味があり、それが今でも続いています。
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