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令和の典拠『万葉集』 中西進が語る「魅力の深層」【後編】新元号の「梅花の宴」言及部分(5/5 ページ)

» 2019年04月19日 07時30分 公開
[中西進ITmedia]
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高千穂の峰は天なる神の子孫が降臨した山

 もっとも、空虚感をこのようにしか理解できないのではない。何しろ薩摩は太宰府をすら越えた彼方である上に、当時の南辺は、必ずしも平穏でなかった。朝廷は隼人の反乱に手を焼いていたし、養老年間(717〜724)には大伴旅人が征隼人持節(じせつ)大将軍として派遣されるほどであった。

 長田王の九州派遣も、慶雲から養老年間に考えるのが、官位の閲覧上もっとも穏やかで、あるいは旅人の派遣に同行するものだったかもしれないのである。

 日本の南辺はまだまだ朝廷に十分に帰属しておらず、その意味からも半ば異境であったが、一方、日向にそびえる高千穂の峰は、天なる神の子孫が降臨した山であり、まさに神話に属する異境でもあった。

 また薩摩の笠紗(かささ)の岬はこの天孫が土地の娘との聖婚をとげるところである。

 さらに、高千穂の峰からは、ここを通って韓国(からくに)に達する、聖なる方位軸の線上に位置する場所である。薩摩は、海の無限の彼方へも通じる土地であった。

 そうした南辺にただどりついた王の気持は、大和とはことなる周辺の風物・自然を目のあたりにして、ますます旅愁を深めたことであろう。

 後年、王は風流をもって称せられたという(『家伝』)。一つの忘我が得させた心境だったろうか。

著者プロフィール

中西 進(なかにし すすむ)

1929年東京都生まれ。日本の教育者、文学者(日本文学・比較文学)。勲等は文化勲章。学位は文学博士(東京大学・1962年)。高志の国文学館館長、国際日本文化研究センター名誉教授、奈良県立万葉文化館名誉館長、文化功労者。読売文学賞(『万葉集の比較文学的研究』)、日本学士院賞(『万葉史の研究』)、和辻哲郎文化賞(『万葉と海彼』)などを受賞。

 著書に『万葉を旅する (ウェッジ選書17) 』 、『情に生きる日本人』『日本人の忘れもの〈1〉 (ウェッジ文庫) 』『日本人の忘れもの〈2〉 (ウェッジ文庫) 』『日本人の忘れもの〈3〉 (ウェッジ文庫) 』『中西進と読む「東海道中膝栗毛」』『国家を築いたしなやかな日本知』『中西進と歩く万葉の大和路 (ウェッジ選書)』『日本人 意志の力』など多数。


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