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令和の典拠『万葉集』 中西進が語る「魅力の深層」【後編】新元号の「梅花の宴」言及部分(4/5 ページ)

» 2019年04月19日 07時30分 公開
[中西進ITmedia]

長田王の旅愁――薩摩

 『万葉集』の歌の、もっとも南でよまれたものは、長田王(おさだのおおきみ)が隼人(はやひと)の瀬戸をうたった一首である。

隼人の 薩摩の迫門(せと)を 雲居なす 遠くもわれは 今日みつるかも(巻3-248)

 この歌に漂っている茫漠とした空虚感は、また何としたことであろう。遠く望みながら、瀬戸は、海だか雲だかはっきりしないという。

 しかも「見たことだ」と、体験をしみじみとかみしめているあたり、胸にこみ上げてくる旅愁がいかに大きかったかを、語ってあまりあるものがある。

 この旅愁は、当時の旅の困難さを考えると当然とも思えるが、さらにその上に、長田王なる人物のふしぎさが加わる。

 王は伊勢の斎宮(いつきのみや)に派遣されるが(巻1-81〜83)、その時よんだ一首は、

山の辺の 御井(みゐ)を見がてり 神風の 伊勢少女(をとめ)ども 相見つるかも

という。山の辺の御井は斎宮にあるのではない。御井を見ることを主とし、その上に伊勢少女に会ったという、ふしぎな一首である。伊勢少女を見たということを、斎宮の侵犯とよむこともできる。その場合には、結果としての九州派遣と考えることもできる。体のよい配流である。

 その上、つづく二首は旅路の落魄をうたったもので、四月という時期にも合わず、場所も適切でない。

うらさぶる 情(こころ)さまねし ひさかたの 天のしぐれの 流らふ見れば

海(わた)の底 奥(おき)つ白波 立田山 何時か越えなむ 妹(いも)があたり見む 

 古歌を口ずさんだか、それこそ九州派遣の折の歌か、である。もし後者なら、いかにも心細そうな口ぶりも理解できるし、上にあげた九州の歌と脈絡がつき、歌の空虚感もよく理解できる。

phot 長田王(おさだのおおきみ)が隼人(はやひと)の瀬戸をうたった歌には空虚感が漂っている(写真提供:ゲッティイメージズ)

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