米国の制裁に揺れる中国通信機器・端末大手のファーウェイ。絶体絶命の窮地に追い込まれたかに見える一方、創業者の任正非(じん せいひ)を筆頭にファーウェイ関係者は強気な姿勢を崩さない。
それは単なる強がりではない。1987年の創業から32年、ファーウェイは幾多の苦難に追い込まれてきた。破綻寸前の危機を経験したことも1度ではない。その経験から、業績好調の時ほど危機に備える慎重さと、どんな苦境でも諦めないタフネスというファーウェイの企業文化を生み出した。
ファーウェイとは何者か? この問いの答えを得るには、任正非とファーウェイの歴史を知る必要がある。前編と後編の2回に分けて、任正非の生き様を振り返り、ファーウェイという企業の実像に迫る。今回は後編。
91年、社運を賭けた自主開発の電話交換機「BH03」の開発に成功したファーウェイは、さらなる野心的な目標にチャレンジする。それは電話会社向けの大型交換機の開発だ。
ついこの間まで有象無象の輸入代行業者だった小企業だったファーウェイには、いささか過酷すぎるチャレンジだと思われたが、任は会社のリソースを全て突っ込んでの大ばくちに挑んだ。93年初頭、ついに大型交換機「JK1000」が完成した。ライバルたちに大きく差を付けた戦略商品だ。任の賭けは成功したかに思えた。
技術的には大きな飛躍となった大型交換機の開発だが、経営的には失敗に終わってしまう。デジタル技術の導入という時代の潮流を読み違えていたのだ。固定電話は急速に普及していたが、それでも広い中国に行きわたるにはまだまだ時間がかかるというのが任の読みだった。2000年時点で普及率は5%程度にとどまるだろうと見積もっていた。しかし、実際には50%を超える数字を記録している。予想をはるかに上回るペースで成長が続いたのだ。
その分だけ交換機も必要になったが、問題は数だけではなく、技術レベルでも予想を超えたペースで進歩したことにある。任はまだまだアナログ交換機の時代は続くと考えていたが、長期にわたり使用する交換機だけになるべく最新技術を導入したいと電話会社は考えていた。
華々しくデビューしたJK1000だったが、誕生時点で早くも時代遅れの代物となっていたわけだ。社運をかけて開発した新製品がさっぱり売れない。ファーウェイの営業陣は必死に売り込みを図ったが、成績は振るわなかった。
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