――農水省の元事務次官が長男を殺害したとして逮捕された事件では、元次官が川崎の事件に触れて「長男は引きこもりがちだった」「長男が子どもたちに危害を加えてはいけないと思った」などと供述したという一部報道も出ました。両事件の関連性など断言はまだできませんが、「引きこもり」と「犯罪」が結び付けられたイメージが実際に世間一般で広がっている可能性もあります。
室井: いずれの事件でも引きこもりという言葉がクローズアップされましたが、こういった属性は「その人の置かれている個人的な状況」に過ぎません。100万人とも言われる引きこもりの人々が(みんな)犯罪者予備軍である訳がない。報道は本質的になされる必要がありますが、属性だけで事件が語られてしまい、一人歩きするのはとても危ないと思います。
――事件を巡り、真に議論されるべきポイントとは何でしょうか。
室井: 引きこもりという属性が起因しているというより、社会から孤立している人が自分自身では選択肢がない状況で暴力に走ってしまう、ということはあると思います。こうした事件の引き金になっているのは、本人ないし家族が社会的に「孤立」している点だったのでは、と。
例えば「(家族が)引きこもりだから、犯罪を犯す前に……」と追い詰められてしまうことも考えられます。引きこもり当事者の個人と家族、家族同士、家族と支援者が細くしかつながれていないか、全くつながれていない問題に起因しているのではないでしょうか。むしろ(こういった)関係性、つまり孤立が問題なのだと思います。
――一連の報道を受け、TwitterなどSNS上でも事件についての議論が交わされています。建設的な内容もある一方、心無い発言も少なくありません。
室井: 本件に限らず、事件から遠い距離にいればいるほど、「タイムライン上で流れていくものだから何でも(暴言を)投げてやれ」という感覚がSNS上にはあると思います。自分との距離が遠いがゆえに、どんな言葉も投げつけられる。
それと、引きこもりという属性を持つ集団との「親和性」が高いのだと思います。(引きこもりが)自分と遠いところにある存在だと思っている人なら、どんな言葉でも投げつけられるのでしょう。一方、自分の子どもや自分の事だと感じている人は、不安に感じる訳です。
しかし、引きこもる事情は人それぞれで、引きこもりとは「状態」でしかないのです。
――引きこもりという、生まれつきのような絶対的な属性や明確な境界がある訳ではない、ということですね。
室井: であるのに、「引きこもりかそうでないか」という二元論になっている気がします。
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