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» 2019年06月13日 10時00分 公開

人材流出企業あるある:会社を崩壊に追い込む“コミュ障な組織”の正体 (1/3)

「コミュ障」は個人だけに適用できる概念ではなく、「“コミュ障な”組織」も存在する。これが企業をじわじわと崩壊に追い込むとしたら……。

[安達裕哉,ITmedia]

この記事はティネクトのオウンドメディア「Books and Apps」より転載、編集しています。


 「コミュ障」という言葉がある。正確に書くと「コミュニケーションに関する障害(を持つ人)」となるが、これは本来の「障がい者」という意味で使われているのではなく、単に「コミュニケーションの下手な人」という意味だ。

 さて、この「コミュ障」だが、よくネタにされる。友達付き合いや、仕事においてもコミュニケーションの能力が重要であるからなのだろう。

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 だが、私はいつも不思議に思っていた。本人の認識と、実際の能力のズレについてだ。

 例えば、自分自身で「コミュ障です」と言っている人であっても、仕事を進める上で特にコミュニケーションに苦労していなかったりする。また、一見すると社交的で、仲間とうまくやっているのに、実は仕事でコミュニケーションが非常に取りづらい人がいたりする。

 これは一体、どういうことなのだろう。「コミュ障」の本質とは、一体何なのだろう。

 そう思っていたところ、先日読んだ一冊の本が、これらの疑問についてほぼ完全に答えてくれた。北大の名誉教授だった社会心理学者の山岸俊男氏の『安心社会から信頼社会へ』という本だ。

 この本によれば、私がイメージしていた「コミュ障」とは、つまり「人を信頼するのが下手な人」ということに尽きる。

「人を信頼する」とはどういうことか

 詳しく見ていこう。

 山岸氏は、「信頼」を次のように定義している。

 「信頼」は、相手が裏切るかどうか分からない状況の中で、相手の人間性のゆえに、相手が自分を裏切らないだろうと考えることだ。

 そして面白いことに、山岸氏は、信頼と対になる概念として「安心」を挙げている。安心の定義は次のようなものだ。

 「安心」は、相手が裏切るかどうか分からない状況の中で、相手の損得勘定のゆえに、相手が自分を裏切らないだろうと考えることだ。

 信頼は不確実性を大きく残したまま、人に期待を持たなければならない。

 だが、安心は、システムやルール、約束事などによって、「相手が裏切る」という不確実性を大きく減らしている。

 例えば、「裏切ったら処刑する」という“鉄のおきて”があるマフィアにおいて、ボスが子分に持つのは信頼ではなく、安心である。

 三蔵法師が孫悟空に対して「頭を締め付ける輪があるから、裏切らないだろうと考えること」も、信頼ではなく、安心である。

 山岸氏の洞察の素晴らしい点は、この「信頼をベースにした人間関係」と、「安心をベースにした人間関係」を区別しているところにある。

 つまり、安心は「直接人を信じなくとも仕組みによって機能」し、逆に信頼とは文字通り「人間を信じている」からこそ、成り立つということだ。

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