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田中角栄からカネは受け取らなかった――田原総一朗が語る「ジャーナリスト人生の原点」落ちこぼれ青年の逆転劇(2/3 ページ)

» 2019年06月26日 05時00分 公開
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就活で新聞もテレビも全部落ちた

――田原さんは就職活動では、新聞もテレビも全部の試験に落ちてしまい、当時の岩波映画製作所に入りました。「自分には本当に才能がないんだなと思って落ち込んだ」と書籍に書いてあった一節が印象に残っています。しかし結果的には日本を代表するジャーナリストになったわけです。成功の定義もいろいろあると思いますが、どうして成功することができたのか、どうして落ちこぼれだった一青年は「田原総一朗」になれたのでしょうか。

 やっぱり、テレビ東京に入ったのがよかったね。当時テレ東ができるときにね、「テレビ番外地」と言われていたの。製作費は、日本テレビやTBSの10分の1しかない。だから誰も相手にしないんだ。僕には才能もない。それで勝負するにはどうすればいいか。日テレやTBS、NHKもやらない番組をやる。何か。危ない番組だよ。怖くったっていいじゃない。

――田原さんは若いころ、番組作りをするディレクターとしても先鋭的なドキュメンタリー番組を作っていましたね。30代で手掛けた『日本の花嫁』(1971年)では、自衛隊や障害者などさまざまな結婚式を取り上げる企画の中で、元全共闘の若者たちの結婚式を取材するために、田原さん自身が一肌脱いだ破天荒ぶりは今や「伝説」になっています。その他にも、開局記念番組のSFドラマで、安部公房さんに脚本を頼むために3日間自宅の前で立ち続けてOKをもらった逸話も有名です。「面白いことをやろう」という気持ちが大事だということですよね。そんなジャーナリスト人生を振り返って、ピンチだった出来事は何でしたか?

 やっぱり嫌だったのはね、野中広務さんが小渕恵三内閣の官房長官だったとき、官房機密費を学者や評論家、ジャーナリストの大物に配った。みんな受け取った。受け取らなかったのは田原総一朗ただ1人だと、朝日新聞が書いた。ただ1人なんだよ。これは有難かったね。自分が言ったら誰も信用しないからね(笑) 

 何で僕がお金を受け取らなくて済んだと思う? 受け取らないというのはね、(その相手と)ケンカするってことなんだよ。ケンカをするというのは、もう取材ができなくなるってこと。何で(お金を)受け取らないということが僕だけ通用したのか。それは、田中角栄からのお金も受け取らなかったから。

 1981年に田中角栄さんに『文藝春秋』の取材をして、インタビュアーは僕がやったの。インタビューが終わってお礼に行ったら、田中角栄が「ちょっと待ってろ」と(呼び止めた)。そのあと金出したの。封筒に入ったのを。(厚さからいって)100万円だと思う。

 受け取ったらおしまいだと思った。でも受け取らなかったらケンカ(になって)、もう自民党の取材はできない。

――角栄さんからのお金を受け取るのか受け取らないのかで、その後のジャーナリスト生命に響いたかもしれませんね。どのような決断をされたんですか?

 (その場でいったんは受け取った後に)麹町の田中角栄事務所に行って、秘書の早坂茂三に土下座して(「受け取れない」と頼んだ)。2日後に、早坂から電話があって、「おやじは(受け取らないことを)OKしたよ」と言われたの。

――なるほど。角栄さん相手によくそんなことが通じましたね。

 その後、中曽根康弘さんなど、いろいろな歴代(の総理大臣)からもそういうことがありました。でも「田中さんからも受け取らなかったので、あなたからも受け取るわけにいかない」と言えば、誰もが納得してくれた。逆にね。田中に救われたの。あのとき怒られたら終わりだよね。

――修羅場をうまく乗り越えられたからこそ今があるのですね。なぜ大物政治家から声を掛けられて断っても怖くなかったのですか?

 田中角栄がOKしてくれたから(得意げに)。

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