この100年、自動車の世界ではプラットフォーム戦略というやり方が大きな正義だった。1908年、自動車生産に「プラットフォーム」という概念を打ち出したのは米国のGM。プラットフォーム戦略とは、同サイズのクルマには、同じ基本車体を用いる設計を指す。つまり基本となる1台のクルマを設計したら、それをベースに、変奏曲のようにさまざまなバリエーションを作りだす。自動車設計において最もコストの高い部分をプラットフォームとして多車種に流用することで、低コストかつ短期間に多くの商品を送り出すことができる、合理的なシステムであった。
さらに、時代を下るにつれて基本車体だけではなく、クルマのあらゆるパーツができる限り共通化されていった。ところが90年代に入ると、このプラットフォーム戦略が狂い始める。例えば、セダンとスポーティーカーのシャシーを共用すれば、そこに求められる走りの性能差をどちらに寄せるか問題になる。
元々がコスト低減策であるだけに、より高い能力を求められるスポーティーカーに合わせれば、セダンがコストで不利になる。かといってセダンの水準で設計すれば、スポーティカーのカテゴリー内競争で負ける。その矛盾は自動車メーカーにとって、常時大きな課題であり、共用化していたはずのシャシーをカテゴリーごとに大改造することが常態化して、それぞれを作り下ろすのとあまり変わらなくなっていった。こうしてプラットフォームは、自動車設計のソリューションとして時代遅れのものになっていった。
こうした中で模索された新しい考え方のひとつが、「(物理的に)部品を共通化するのではなく、設計手法と生産手法を共通化する」というコンセプトだ。大事なのは寸法や形状の同一性ではなく、設計や生産設備に投じたコストに対して、サイズや使用環境に対するより幅広い製品を生み出すことだ。こうした考え方をコモンアーキテクチャーという。
軽自動車、Aセグメント、Bセグメントの3つにおいて、同じ考え方で設計できる部分と、変えなければいけない部分。それをそれぞれに分け、どこをどう変えられるように設計すれば、3つを同時に成立させられるかを徹底的に考える。
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