東京大学で博士号を得た後、米国シンクタンク勤務、日本総合研究所設立、ダボス会議(編注:世界各国の政府首脳、企業経営者、学識者、ジャーナリストなどがスイスのリゾート地・ダボスに集まり、互いに意見交換をする「世界経済フォーラム年次総会」のこと)のGlobal Agenda Councilメンバー、内閣官房参与といった華々しいキャリアを持つ、多摩大学大学院名誉教授、グロービス経営大学院特別顧問・特任教授の田坂広志氏。国内外での多数の著書や、21世紀の変革リーダーを育成する「田坂塾」によっても知られているが、実は、研究者志望だった田坂氏が29歳にして民間企業での法人営業の仕事に投げ込まれ、人知れず努力を重ねたことはあまり知られていない。
インタビューは前後編でお届けするが、今回の「前編」では、新入社員となった当時を振り返り「一度は絶望感に陥った」と語る田坂氏に、どのような心構えや方法でその逆境を乗り越えたのかを聞いた。田坂氏が明らかにした「反省の技法」そして「私淑(編注:尊敬する人を心の中で「師匠」と思い定め、直接には教えが受けられなくとも、その人を模範として慕い、学ぶこと)の技法」に迫る。
――田坂さんは、大学院を修了後、民間企業に勤められたとのことですが、どのような経緯があったのでしょうか。
私は29歳の終わりまで大学院にいたのですが、博士号を取得しましたので、教授からの勧めもあり、研究室に助手として残る予定でした。ところが、予想外の事情が生じ、助手のポストが空かない、さらに他の研究機関の採用も終わってしまったという状況に直面し、急きょ、民間企業に勤めるしかないという状況になったのです。
今から考えると不遜な考えですが、当時は「自分は研究者になりたいのに、なぜ民間企業に出なければならないのか」と思いました。しかも、その民間企業で配属されたのは中央研究所ではなく、原子力事業部の法人営業の部署。ある意味で修羅場です。しかも、同期に比べれば7年も遅れての入社ということもあり、「自分は、この世界でやっていけるのか……」と、一度は絶望感に陥りました。
――研究と法人営業はまったく違う世界のように感じますが。
私も、当初はそのように考えていました。それでも、このビジネスの世界でやっていくための方法はないかと思い、書店に行って営業関係の本を見てみたのです。しかし、どの本を見ても、それを読めば目の前の壁を越えられるように思えなかった。
ところが、その書店にあった一冊の本の帯が、私に希望を与えてくれたのです。その帯には、こう書かれていたのです。「仕事を研究する」と。
その瞬間、私の頭に一つの思いが浮かびました。「そうだ、自分は7年間遊んでいたわけではない。研究については、それなりに徹してやってきたではないか。だったら、その自分の強みを生かして、仕事を研究しよう」。そう思ったのです。
このエピソードは、拙著『なぜ、優秀な人ほど成長が止まるのか――何歳からでも人生を拓く7つの技法』(ダイヤモンド社)にも書きましたが、あの瞬間が、私にとって、未来に向けた新たなスタートとなりました。
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