本当にそれは必要ですか? 良くも悪くも、あなたの持ち物は重くなってはいないでしょうか。大切にしていた「はず」のモノで、逆に心が押しつぶされそうになってはいないか。だから、ビジネスも人生も「捨てる」ことからはじめよう。「これから」を、病まないで生きるために。
僕は「時代の寵児(ちょうじ)」と呼ばれてから一転して逮捕・収監を経験しました。その後、令和元年、ついに日本初の民間ロケット打ち上げ実験を成功させることができました。その折々にあったのは「捨てること」「持たないこと」を徹底した思考法でした。 もし、自分にある種の強さがあるとすれば、それは「捨てる」ことへの、ためらないのなさかもしれないと思っています。幼少期の原体験から東大、ライブドア時代と、久し振りに自身の半生をゼロから振り返った「原点」を新刊『捨て本』(徳間書店)に記しました。
逆境にあっても未来を見据えながら、今を全身全霊で生きる。そのために、捨てるべきものは何か。持っていなければいけないものは何か。ライフハック、お金、仕事から人間関係まで、「所有」という概念が溶けたこの時代に最適化して、幸せに生き抜くためのメソッドをつづっています。今回はビジネスにまつわる「捨てる」ことの意義を、3回に分けて紹介していきます。
前編「ホリエモンが「東大卒ブランド」を捨てた理由――私はこうして起業家人生をスタートさせた」では東大を中退し、1996年にオン・ザ・エッヂを立ち上げるまでの話を、中編「ホリエモンが社員を「切り捨て」てきた真意――サラリーマン社会も楽な方に変えられる」では、会社を運営する中で感じた「捨てる」ことの重要性をお届けしました(関連記事を参照)。
最終回の後編では、修業期間というものがいかに無意味であるか、職人ではなく経営者視点に立つことの重要性をお伝えしたいと思います。
「捨てるべき」モノについて、主に語ってきた。ここからは逆に、「捨ててはいけない」モノを、いくつか論じていこう。まずは、繰り返し述べた「時間」だ。
ぼんやりしているだけで過ぎ去り、死へのゴールが、着実に近づいていく。無為に時間を過ごすことは、最も愚かしい「ポイ捨て」作業だ。時間は取り戻せない。誰かに特別に、多く振り分けられてもいない。公平で、容赦なく、全ての人に与えられた有限の資源だ。時間とはすなわち、命である。
時間を無駄に使う人に、本当の幸福はないし、経済的な成功もない。「やりたいことがない」からと誰かの言いなりになったり、うまくいっている人の足を引っ張ったり、罪のない人を貶(おとし)めたり、ネガティブなことに時間を費やしている人を見ると、基本的には僕は無視するが、心のなかでは、なんてバチ当たりなんだ……と思う。
思考を良質な情報で埋めて、最適の方法を選び、余分なモノを捨てて、身軽になって目的へ近づいていく。誰にでも、できることだ。そうすれば有限な時間は、限りなく無限へ近づき、最大化する。何を持つか? ではない。どのように時間を使うか? という意識に、全神経を傾けてほしい。迷ったら時間の早い方を選ぶ。これが鉄則だ。早く着手すれば、ミスしたときのリカバーも早く済む。多くのビジネスの経験で得た教訓のひとつだ。
「急がば回れ」という諺(ことわざ)がある。あながち間違いではない。目的達成のために回ることで、スティーブ・ジョブズが語るところの「点と点」がつながる偶然が起きることもあるからだ。でも、時間を費やせばいいというわけではない。正しくは「考えながら急いで回れ」だ。目的のために最適の選択は何だろう? と考えて、行動しよう。
時間をかければ成果が高まるという考え方は、そもそも時代に合っていない。リスクリワードの意味でも、「時間をかける主義」は、不利を生むだろう。何をしたいのかが定まれば、すぐ行動だ。動きだしが早ければ、きっと回り道よりも効果の高い、近道が見つかる。
著書などで、僕は近年「修業はいらない」と唱えている。修業は、まぎれもなく時間の浪費だ。別のところでも書いているが、寿司(すし)屋の修業を例に取る。昔の寿司職人の修業といえば、高校卒業で店に入り、皿洗いなど雑用で数年、焼き物を担当して数年を費やす。そして包丁を持たせてもらうまで、また数年がかかり、師匠から料理や店の運営のテクニックを教わるようになるのに10年近く、という経過が当たり前だった。独立できるようになるのは、早くて40代を過ぎたあたり……。遅すぎる。
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