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「WAGYUMAFIA」 代表・浜田寿人が明かす“挫折からの復活劇”――そして「世界一」への果てしない挑戦浜田寿人の肖像【中編】(3/5 ページ)

» 2020年01月09日 05時00分 公開
[田中圭太郎ITmedia]

きっかけは堀江と始めた和牛料理

 WAGYUMAFIAという言葉は浮かんだものの、すぐには使わなかった。そのコンセプトがより具体的になるのは、堀江と一緒に料理をするようになってからだった。

 「彼は出所して、以前住んでいたところには泊まれなくなったので、ホテル暮らしが始まりました。キッチンがないことが不満だったようなので、わが家に呼んで料理を振る舞ったら、すごく喜びました。

 僕はもともと料理が好きで、家のキッチンはプロ用の設備にしていました。料理の原点は子どものころ、海外で暮らしていたときの母の手料理です。大学教授だった父の給料はそれほど多くはないですから、マレーシアでもオーストラリアでも、知人が家に来るときには市場で現地の食材を買って、母が料理を振る舞っていました。それを見て、自分でも料理をするようになりました。

 彼も料理をしたいというので、スタジオを借りて一緒に料理をするようになり、そのときにどうせなら和牛の料理に絞りたいと提案しました。和牛とフレンチ、和牛と香辛料、和牛と米、和牛と麺など、和牛×●●といったように毎月テーマを決めて20回くらいやったことが、その後につながったと思います」

 堀江との料理は1年半ほど続き、クックパッドの本社でも実施した。すると15年11月、そのうわさを聞きつけた京都・祇園にある期間限定の会員制レストラン「空」から、オープニングシェフとして声がかかった。

 浜田はその話を聞いて初めて、あたためていたWAGYUMAFIAのアイデアを形にして、堀江と2人のユニットとしてデビューしようと考えた。お披露目の日は16年3月28日。それまでの半年弱の間、WAGYUMAFIAのコンセプトを練り上げ始めた。 

 「ユニットとしてやるなら、世界の料理と和牛をコラボして、DJをして、音楽のようにマッシュアップしながら料理ができたらいいなと考えました。イメージしたのはフランスのデュオのDaft Punk(ダフト・パンク)です。ダフト・パンクの侍シェフ版をやろうと、ユニフォームのデザインや世界観を作っていきました。ユニフォームができて、祇園でジャケット写真を撮影しました。

 ユニフォームは(人気ロックバンドの)ONE OK ROCKのユニフォームを手掛けるデザイナー丸本達彦を、(ONE OK ROCKの)ボーカルのTakaから紹介してもらいました。ユニフォームができて、祇園でジャケット写真を撮影しましたね。

 WAGYUMAFIAのロゴは、書家の岡西佑奈に書いてもらいました。墨で書かれた、若干の女性らしさも入った文字は、一目見て日本のものだと分かるものができたと思います。もともとブランディングは自分がやってきた仕事です。新しいブランドを作るために、これまでとは違う全く新しいチームでWAGYUMAFIAを作り上げていきました」

phot ONE OK ROCKのボーカルTaka(左)、『グラミー賞』を4回受賞した世界的なシンガーソングライター、エド・シーラン(右)と
phot 書家の岡西佑奈が手掛けたWAGYUMAFIAのロゴ
phot スペインのシンコホタスのテストキッチンにて料理をする堀江と浜田。中央はヨーロッパツアーを共にした親友、バルセロナの三つ星レストラン「サンパウ」エグゼクティブシェフのジェローム・キルブフ

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